【記事】日本発 世界の障害者の生き方を変える“自立生活革命”とは/ NHK

2025.04.25

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250425/k10014787631000.html

日本発 世界の障害者の生き方を変える“自立生活革命”とは

日本の国際協力によって世界の障害者の暮らしが変わりつつあるのをご存じでしょうか。世界20か国以上の障害当事者たちが日本で福祉を学び、その経験を持ち帰って各国のリーダーとなって活躍しているのです。

特に中米のコスタリカでは障害者の権利を守る画期的な法律ができ、その動きは中南米全体に拡大。各地で「自立生活革命」と呼ばれる運動に発展し、国連から注目されるまでになっています。

この運動の原動力となってきたのは、海外からの研修生たちを受け入れてきた兵庫県の団体です。

国境を越えて障害者同士がつながり、不可能だと思われていた社会の変革を成し遂げる。日本発の知られざる国際協力のストーリーです。

(政経・国際番組部ディレクター 下方邦夫)

福祉の先進地コスタリカ 日本がモデルに!?

人口約500万のコスタリカ。

豊かな自然に恵まれ「中米のスイス」とも呼ばれています。

ウミガメの産卵の見学など「エコツーリズム」が有名で、海外から多くの観光客が訪れます。

そんなコスタリカが近年、障害者の福祉の分野で国際的な注目を集めています。

6年前、「アクセシブル・ビーチ」と呼ばれる砂浜に至るまでの歩道をバリアフリー化した海水浴場を開き、障害のある人も海を満喫できるよう「水陸両用車いす」も導入しました。

アクセシブル・ビーチは今、全国17か所に増えています。

水陸両用車いす

また、街中を走るバスに車いす用のリフトの設置を義務づけたほか、障害者の日常生活をサポートする「介助者」のサービスも公費で利用できるようにしました。

バスリフト

「障害者が自分の意思でものごとを決め、行きたいところに行き、住みたいところに住むことができる」

こうした理念は「障害者の自立生活」と呼ばれています。
コスタリカは9年前、自立生活を保障することを国の基本方針として掲げました。

こうした取り組みによってコスタリカは中南米における「福祉の先進地」として知られるようになったのですが、実は多くの点で日本の仕組みを参考にしたのだといいます。

国を変えた女性 きっかけはある日本人との出会い

コスタリカで福祉政策の導入の立役者となってきたのは、障害者支援団体の代表ウェンディ・バランテスさんです。

全身の筋肉が萎縮する筋ジストロフィーを患っています。

ウェンディ・バランテスさん

コスタリカ政府と交渉しながら様々な制度の実現を成功させてきたバランテスさんですが、実はある日本人と出会うまで、障害者の福祉についてほとんど何も知らなかったといいます。

その日本人とは、兵庫県で障害者支援のNPOを運営する廉田(かどた)俊二さん(64)。車いすで生活を送る障害当事者です。

廉田俊二さん(2012年ごろ)

廉田さんは、世界各地に暮らす障害者を兵庫県に招き、どうやったら障害のある人が自分の望む人生を送ることができるのか、その仕組みを伝える研修を長年行ってきました。

二人が出会ったのは2008年のこと。

コスタリカで開かれていた障害者の市民集会に廉田さんが講師としてやってきたときでした。

2008年の集会で出会ったバランテスさんと廉田さん

たまたまこの集会に参加したバランテスさんは、廉田さんの話の中で初めて障害者が自分の意思で生き方を決める「自立生活」という考え方があることを知りました。

そして自立生活を実現するため、日本では「介助者」が障害者の生活を支えていると知り驚いたといいます。

“あなたは自立してない” 日本行きを決意した言葉

当時コスタリカでは、家族が障害者の面倒を見るのが当たり前でした。

家族にもそれぞれの仕事があるため、障害者が自分のやりたいことを実現するのは難しく、家族の方も介助を大きな負担と感じていました。

親に介助を担ってもらっていたバランテスさんは、集会の後、廉田さんから思わぬ言葉をかけられたといいます。

ウェンディ・バランテスさん
「廉田さんが『あなたは30歳を超えているのに、まだ本当の意味で自立していない』と言ったんです。私は反論しましたが、その言葉がずっと私の中に残り『私は自立しているんだろうか』と自問自答するようになりました」

翌年、バランテスさんは生まれて初めて家族から離れ、日本を訪れることを決意します。

障害者の自立生活について学びたいと向かったのは兵庫県にある廉田さんのNPO「メインストリーム協会」。ここで1か月半にわたり研修を受けることにしたのです。

障害者が制度を勝ち取ってきた日本

廉田俊二さんは、日本の障害者運動を率いてきたリーダーの一人です。

14歳のときに事故で脊椎を損傷しますが、当時(1970年代)、障害者は親に面倒を見てもらうか、施設に入るかしか選択肢がない人がほとんどでした。

廉田さんは障害者であっても自分の望む自立した生活を送る権利があるはずだと、1989年に障害者支援の団体を立ち上げます。

そして他の障害者の仲間とともに、介助者を公費で利用できる制度を作るよう行政に訴え、粘り強く交渉を進めてきました。

その結果、日本では2000年代に公費による介助制度を認めた法律ができ、障害者の自立生活が大きく前進したのです。

現在、多くの市町村で1日最大24時間の介助が認められています。
(利用者の費用負担は最大で1割、所得が低い場合は負担なし)

海外にも自立生活を 20か国以上の障害者に研修

若い頃から車いすで世界を旅することが好きだった廉田さん。

一部の先進国以外では介助制度を持つ国がほとんどないことに気付きます。

NPOメインストリーム協会代表 廉田俊二さん
「海外の多くの国では『障害者の人権』は議論さえされていなかった。同じ障害者なのに、どこの国に生まれたかが違うだけで、それはもう悲惨な生活になってしまう。不平等だと感じますね。そういう場所に、自立生活っていうものがあるよと伝える。なんとか応援したいという気持ちです」

海外の障害者を招いた研修

廉田さんはJICA(国際協力機構)や企業から支援を受け、25年以上にわたって100人以上の障害当事者を日本に招き、自立生活についての研修を行ってきました。

教え子たちは今、韓国やモンゴル、パキスタン、カンボジアなど、様々な国で障害者福祉の制度づくりに挑んでいます。

“人工呼吸器の人まで一人暮らし” バランテスさんが受けた衝撃

2009年、コスタリカから日本にやってきたバランテスさんも、廉田さんの研修に参加した一人でした。

生まれて初めて介助者を利用し、様々な場所へ出かける経験をすることで、介助サービスこそが障害者の自立に不可欠だと気付いたといいます。

日本の介助者と一緒に外出するバランテスさん(左)

さらに、「自立」という言葉の意味を最も強く実感したのは、人工呼吸器を付けながらも一人暮らしをする男性のもとを訪ねた時だったといいます。

ウェンディ・バランテスさん
「衝撃を受けました。日本の障害者の人たちは、人工呼吸器を付けている人でさえ、映画を見るのも買い物に行くのも自分自身で決め、とても幸せそうに見えたんです。もし人工呼吸器を使う重度の障害の人でさえ一人で自立した生活ができるなら、世界中のどんな人だって介助さえあれば自立できると気付きました。これこそまさに、当時のコスタリカに欠けていたものでした」

“コスタリカの社会を一緒に変えよう” 社会変革スタート

研修を主催した廉田さんは、徐々に理解を深めていくバランテスさんの姿を見て、ある提案をします。

それは「一緒にコスタリカの社会を変えよう」というものでした。

廉田俊二さん
「『この仕事は社会を変える仕事やで』って言いましたね。コスタリカは国会議員も50人くらいしかいないから、とにかく全員と会おうと。法律を作らないと社会は変わらないので、全員と会って法律作ろうと何回も言いましたね」

コスタリカに帰ったバランテスさんは、仲間とともに障害者の支援団体を立ち上げます。

そして日本のJICAから資金援助を受けながら、コスタリカで初めてとなる介助者の育成を開始。自身も親から離れ、介助者とともに自立生活を始めました。

介助者を使って入浴するバランテスさん

さらに廉田さんのアドバイスの通り、仲間とともに全ての国会議員のもとを訪ね、介助者の費用を国が負担する制度をつくるよう訴えました。

しかし当初は「予算がない」と断られるなど、なかなか理解が進みません。

コスタリカの障害者の全国集会(2014年)

ついに中南米初の法律が成立

事態が動きはじめたのは、活動を始めて7年後のこと。

バランテスさんらは、地元の町から首都まで、介助者とともに13日間かけて280キロにわたるデモ行進を行いました。

すると、悪天候の中でもデモ行進を続ける様子をメディアが連日にわたって報道。

沿道に多くの市民が応援に駆けつけるなど、世論がバランテスさんらの活動を支持し始めたのです。

地元メディアの取材を受けるバランテスさん

そして、2016年。

「障害者の自立の権利を保障する」と明記された法律が議会で成立。中南米で初めて、介助者の費用を全額公費で負担する制度が誕生したのです。

法律にサインしたコスタリカ大統領(当時、後列中央)とバランテスさん

“介助に救われた” ヤングケアラーと母親

介助サービスによって人生が大きく変わったという女性に話を聞きました。

8年前、交通事故に遭い下半身が動かせなくなったロシオ・モラレスさんです。事故の後、日常生活を支えたのは中学に通う2人の子どもでした。

モラレスさんは「子どもたちは思春期のすべての時間を犠牲にしなければならず、私は罪悪感に悩まされていました」と当時を振り返ります。

介助者を利用して買い物をするモラレスさん

新たな法律ができたことで5年前から1日6時間の介助サービスを利用できるようになり、家族の生活は一変したといいます。

モラレスさんは子どもの手を借りずに家事や買い物ができるようになり、趣味のダンス教室にも通い始めました。

ロシオ・モラレスさん
「私たち家族にとって劇的な変化でした。今では時間をどう使うか、ここに行きたい、行きたくない、と決めるのは私自身です。感情面でも変化は大きく、再び母親になったと感じるんです」

介助から解放された子どもたちも友だちと一緒に過ごす時間ができ、「介助者は大きな救いだった」と話します。

“コスタリカをモデルに” ラテンアメリカの国々が動き出す

コスタリカの成功に触発され、今、他の中南米やカリブの国々にも自立生活の運動が広がっています。

各国の障害者たちがバランテスさんの団体を訪問し、コスタリカをモデルとした制度の導入を目指しているのです。

「ラテンアメリカ自立生活ネットワーク」のオンライン会議

5年前には「ラテンアメリカ自立生活ネットワーク」が結成されました。

13か国のメンバーが定期的にオンラインでミーティングを開きながら、各国に合わせた制度をどのように作っていくか話し合いを重ねています。

ボリビアやパラグアイではすでに、制度導入のための法案も作られました。

法制定を目指して集まるボリビアの障害者たち

さらに、この運動は国連でも注目されるようになっています。

障害者権利委員会の会合で、バランテスさんら中南米のリーダーが運動の内容を世界に発信し、「自立生活革命」と呼ばれるようになりました。

国連 障害者権利委員会 アマリア・ガミオ副委員長
「この運動はまさに革命的です。なぜなら何世紀にもわたり障害者は自立した生活が送れないと考えられてきたからです。日本とコスタリカは『障害者自身が意思決定できる存在なんだ』と多くの人に気付かせました。今、運動は世界中に広まりつつありますが、もっと早く拡大するよう国連として後押しできればと考えています」

“社会を変革する” 廉田さんの教えを忘れないために…

日本に学んだ仲間たちが“革命”を起こす姿を見た廉田さん。

「コスタリカが中南米のモデルとなっているのはうれしい」と話しながらも、これで変革が終わったとは考えていません。

今も日々、世界各国から研修生を受け入れ、「あなたたち障害者が社会を変えるんだ」と激励し続けています。

NPOメインストリーム協会代表 廉田俊二さん
「2年や3年で社会は変わりません。うまくいかなくても諦めずにやり続けることが大事です。だから研修生たちにはいつも『この仕事は人生を賭ける仕事やで』と伝えています」

コスタリカで活動を続けるバランテスさんは、日本で学んだことを忘れないために「あるもの」を身につけることがあります。

それは、廉田さんのトレードマークのタオル。

かつて日本の障害者たちが多くの困難を乗り越えて制度を作ってきたように、ラテンアメリカでも社会の変革を諦めないという思いからです。

「Kadota」と書かれたタオルを頭に巻くバランテスさんたち

ウェンディ・バランテスさん
「廉田さんは私たちに変革の担い手になることを教えてくれました。障害があるということは、社会に影響を与えるツールを持つということなんです。世界にはまだまだ、自由を手に入れ、尊厳を持って生きたいと望む障害者たちがいます。誰もが自分の望む人生を送れる社会になるよう、私たちはこの仕事をやり続けるつもりです」

「国際協力」という言葉を聞いたとき、通常イメージするのは資金や技術の提供だと思います。

しかし日本と世界の障害者は、人と人とが深い関係をつくり、学び合うことによって社会を変えてきました。

“自立生活革命”は国際協力の新たな可能性を見せてくれているように感じます。

(3月13・14日 「国際報道2025」で放送)

APCAS

スリランカでも障がい者を支援する法律はあるものの、私たちや連携団体の活動地である地方の農村などでは、ほとんど有効なサポートがなされていない現状があります。日本が世界を変えていった事例として、勇気づけられます!