【報告】北海道の教員グループが見たスリランカと教育実践

スタディツアー概要

2026年1月、北海道の小学校・高校の教員を中心としたグループがスリランカを訪問しました。

今回の訪問は、あらかじめ明確な成果物を定めた研修ではなく、
現地を実際に見て、感じたことをそれぞれの教育実践にどう活かすか」を出発点とした、自主的なスタディツアーでした。

特に参加者の関心が高かったのは、スリランカの主要産業である紅茶生産の現場と、そこで働く人々の暮らしです。

しかし、実際に現地を訪れてみると、茶畑だけではなく、教育、国際協力、社会構造など、さまざまな視点からの学びが広がっていきました

本記事では、日本で教育に関わる皆さまが現地で何を感じ、どのように価値観を変化させたのかを、アプカスの視点も交えて記録します。
さらに、その体験がどのように授業や実践へとつながったのかを共有します。

スタディツアー日程

Day主な移動・場所実際の動き宿泊
Day1成田 → コロンボ到着・市内移動コロンボ
Day2コロンボ学校・NPO訪問コロンボ
Day3コロンボ → シギリヤ移動・観光ダンブッラ周辺
Day4ダンブッラ → ヌワラエリヤ移動・紅茶関連視察ヌワラエリヤ
Day5ヌワラエリヤ → クルネーガラ移動・途中視察クルネーガラ周辺
Day6クルネーガラ → コロンボ視察・移動コロンボ
Day7コロンボ → 空港市内・帰国機内泊
Day8成田到着

1月5日(コロンボ:教育・国際協力・アプカス・ジャヤワルダナセンター)

コロンボ日本人学校では、海外で学ぶ子どもたちの教育環境や、現地での学校運営について話を伺いました。
JICAスリランカ事務所では、スリランカにおける国際協力の現状や、現地で活動する上での視点について学びました。

その後、NPO法人アプカスのスリランカ事務所を訪問し、石川より、現地での活動や支援のあり方、雇用や仕組みづくりを通じた取り組みについて話を聞きました。
また、ジャヤワルダナセンターでは、スリランカと日本の歴史的なつながりや、平和について考える機会を得ました。

【気づき】

  • タミル社会の中にも多様性があるという理解
  • 「与える支援」への違和感
  • 雇用や仕組みをつくる支援の重要性
  • 現地で得る情報の重み(書籍やネットとの乖離)
参加者の問い

スリランカの内戦の歴史や平和構築を考える上で大切なことは?

石川コメント

スリランカの民族問題や内戦については、「シンハラ人とタミル人の対立」として語られることが多いですが、現場で見ていると、実際にはそれほど単純ではありません。内戦以前から言語や地域、学校の違いはありましたが、人々の暮らしの中では交流や協力もありました。一方で、政治や経済の変化の中で、「シンハラ」「タミル」という線引きが強調され、対立軸として利用されてきた面もあります。

また、タミル社会の中にも、北部のタミルの人々、プランテーション・タミルの人々、カーストや移住の歴史など、さまざまな背景があります。外から見ると一つの集団に見えても、実際にはそれぞれ異なる歴史や立場を持っています。だからこそ、現地で直接話を聞き、単純化せずに理解しようとする姿勢が大切だと思います。

参加者の問い

私たちが「支援」と呼んでいるものは、本当に相手のためになっているのだろうか。

石川コメント

支援についても同じです。「かわいそうだから何かをあげる」という形は、緊急時には必要な場合もありますが、それが長く続くと、あげる側ともらう側という関係を固定してしまうことがあります。大切なのは、相手の中にある力や知恵を引き出し、自分たちで考え、続けていける仕組みを一緒につくることです。

そのためには、現場で見えている違いを丁寧に見ることも欠かせません。例えば、同じ「被災者」や「支援対象者」とされる人たちの中にも、家族構成、収入、地域での関係性、今後の生活再建の見通しなどには違いがあります。支援物資や支援グループの分け方一つをとっても、画一的に配るだけでは届かない人や、逆に依存を生んでしまう場合があります。NGOの強みは、そうした現場の違いを見ながら、制度や配分のあり方を細かく調整できるところにもあると思います。

これは教育にも通じる視点だと思います。教える側がすべてを与えるのではなく、子どもたち自身が考え、気づき、自分の言葉で捉え直していく余地を残すこと。国際協力や支援を考えることは、教育そのものを考えることにもつながっているのだと思います。

1月6日(シギリア・ダンブッラ)

シギリアロックおよびダンブッラ寺院を訪問。
夜の振り返りの中で、茶畑の現場を見たいという声が上がり、翌日の予定を変更することになりました。

【気づき】

  • スリランカの歴史や文化の壮大さへの実感
  • 日常の教育現場から一度離れることで生まれる視点
  • 「現場を見たい」という問題意識の明確化

1月7日(ハットン地区:茶畑・生活現場)

ハットン地区の茶畑を訪問し、茶畑が広がる地域の暮らしを見学しました。
また、現地家庭を訪ね、仕事や生活、子どもたちの将来について話を伺い、美しい紅茶の産地の背景にある生活の現実に触れる時間となりました。

【気づき】

  • 「子どもには茶畑で働かせたくない」という共通認識
  • 医療や教育へのアクセスの制約
  • 若者の失業や依存といった課題
  • 美しい景観と労働の現実のギャップ
  • 日常の消費と現地の生活がつながっている実感
参加者の問い

私たちが日常的に飲んでいるセイロンティーは、どのような背景の上に成り立っているのだろうか。

石川コメント

茶畑の問題は、一言でいうと、いろいろな矛盾が重なっている場所だと思います。観光で見る茶畑はとても美しい風景ですが、その背景には、労働、教育、医療、若者の将来、そして歴史的な差別や政治的な構造が複雑に関わっています。

特に、プランテーション・タミルの人々をめぐる課題は、単なる貧困や労働条件だけでは説明できません。インドから労働者として移住してきた歴史、スリランカ国内での立場、政治的に「支援対象」として扱われてきた経緯などが重なっています。外から見ると同じタミルの人々に見えても、北部のタミルの人々とは歴史や社会的背景が異なります。

現在は、職業選択や移動の自由など、法律上の制約はかなり改善されていると思います。大手プランテーションで働く茶摘み労働者も、社員として社会保険制度に入っているケースが多いはずです。一方で、過去の負の遺産は大きく、教育や生活の選択肢、若い世代の意識には今も影響が残っています。

若い人たちが茶摘みの仕事を選ばなくなっていること、親自身も子どもには同じ仕事をさせたくないと考えていることは、産業としての大きな課題です。収入や制度が改善されてきたとしても、その仕事に将来性や誇りを感じられなければ、次の世代にはつながっていきません。

だからこそ、茶畑を訪れる意味は、単に「大変な仕事を見た」ということではなく、私たちが普段飲んでいる紅茶の背後に、どのような歴史や暮らし、選択の制約があるのかを考えることにあると思います。美しい景色と、おいしい紅茶と、そこで働く人々の生活はつながっています。そのつながりに気づくことが、現地を見る大きな意味だと思います。

1月8日(ヌワラエリア〜ピンナワラ)

ペドロ茶園では紅茶の生産工程を見学し、ダムロ茶園では観光客向けに整えられた茶園や販売の仕組みに触れました。同じ紅茶産業でも、茶園によって生産・流通・見せ方が大きく異なることを体感しました。

その後、ピンナワラの象の孤児院を訪問し、象の保護活動について見学しました。また、象の糞を活用した紙製品づくりの取り組みを通じて、廃棄物を価値に変える工夫にも触れました。夜にはJOCV関係者とも交流し、現地で活動する日本人の視点から話を伺いました。

【気づき】

  • 同じ紅茶産業でも大きく異なる現場の存在
  • 商品価値と労働の間にあるギャップ
  • 廃棄物を価値や雇用に変える仕組み
  • SDGsが現場でどのように実践されているか
参加者の問い

社会課題は、「問題」として捉えるだけでなく、「価値」に変えることができるのではないか。

石川コメント

同じ紅茶産業でも、茶園ごとに見えるものは大きく違います。大規模な茶園では、観光客の受け入れや販売の仕組みが整っていて、商品としての見せ方やブランドづくりが非常に上手く設計されています。一方で、その商品価値がどのように生まれ、現場で働く人たちにどのように還元されているのかは、別の視点として見ていく必要があります。

紅茶の価値は、大量に生産して販売するだけでなく、製法や品質、ストーリー、作り手の工夫によっても生まれます。近年は、小規模・中規模の生産者が、独自の製法や希少性を活かして価値を高めようとする動きもあります。大きな産業の中にも、違う価値のつくり方があるという点は、とても面白いところだと思います。

一方で、「社会課題を価値に変える」ということは、単に商品として売れる形にするだけでは十分ではありません。例えば廃棄物を商品に変える取り組みも、それが現場の雇用や保護活動、地域の暮らしにどう還元されているのかまで見ていく必要があります。

私たち自身も、Kenko1stでのオーガニック農業や食品の取り組みを通して、課題を価値に変えることに挑戦してきました。ただ、自分たちの商品として売るところまでできても、それが農家の数を増やしたり、地域の暮らしを変えたりするところまで届いているかというと、まだ道半ばです。社会課題を価値に変えるには、商品化だけでなく、その価値が誰に届き、誰の生活を変えているのかを問い続けることが大切だと思います。

1月9日(教育・環境)

幼児教育の現場および環境教育(ゴミ処理・コンポスト)の取り組みを視察しました。

【気づき】

  • 教育と社会課題が密接に結びついている現実
  • 環境問題が日常生活レベルで存在していること
参加者の問い

私たちの教育や仕事は、世界の社会課題とどのように結びついているのだろうか。

石川コメント

先生方が自分の時間を使ってスリランカまで来られ、現地の教育や環境の取り組みを見ようとされたこと自体に、まず強い熱意を感じました。子どもたちに何を伝えるのか、そのために自分自身が何を見て、何を考えるのかを大切にされているのだと思います。

教育と社会課題は、決して別々のものではありません。社会課題をどう見つけるのか、どの視点から切り込むのか、誰の立場から考えるのか。そうした問いは、国際協力の現場だけでなく、教育の現場にも共通していると思います。

また、国際協力というと、遠い国の特別な問題に関わることのように見えるかもしれません。しかし実際には、地域のごみ問題、環境への意識、隣にいる人への関わり方など、身近な生活の中にも同じような課題があります。道端のごみを拾うことや、地域の中で困っている人に気づくことも、広い意味では社会課題への関わりです。

だからこそ、現地を見ることには意味があります。海外の問題を「かわいそうな誰かの問題」として見るのではなく、自分たちの暮らしや教育、仕事とつながるものとして考えるきっかけになるからです。

スリランカで見たことが、日本の教室や地域の中での問いにつながっていくことに、大きな価値があると思います。

授業への応用とまとめ(体験から実践へ)

今回のスリランカでの体験は、帰国後すぐに教育現場での実践へとつながっていきました。

高校の英語コミュニケーションの授業では、「持続可能な社会(sustainable society)」をテーマに、生徒自身が考えを言語化する活動が行われました。

現地で撮影した写真や体験をもとに、「持続可能とは何か」を定義することからスタートし、他者と対話しながら考えを深めていく授業が展開されました。

【気づき】(授業を通して見えた変化)

  • 「持続可能=環境問題」という理解からの広がり
  • 人・文化・価値観・生き方を含めた多面的な捉え方
  • 正解を探すのではなく、多様な考えを共有する姿勢
  • 社会課題を自分自身の選択や行動と結びつける意識
  • 「知る」から「考える」への変化
参加者の振り返り

今回の取り組みは、単なる海外体験にとどまらず、
現地での学びが思考の変化を生み、それが具体的な実践へとつながっていくプロセスそのものでした

石川コメント

授業の中で「持続可能な社会」を考える際に、環境問題だけでなく、人、文化、価値観、生き方まで含めて捉えようとされた点がとても大切だと思います。社会課題は、ひとつの原因やひとつの正解で説明できるものではありません。立場や背景が変われば、見え方も大きく変わります。

スリランカの現場でも、例えば「支援する人/支援される人」「被災者/被災者ではない人」「シンハラ人/タミル人」といった単純な分け方だけでは見えないものがたくさんあります。その間にいる人、どちらにも当てはまらない人、複数の背景を持つ人たちがいます。そうした複雑さに目を向けることが、社会課題を考えるうえでとても重要です。

また、現場を見るということは、単に遠い国の問題を知ることではありません。そこで見たことをもとに、自分たちの暮らしや地域、教室の中にある課題をどう見直すかが大切です。国際協力も、特別な場所で特別な人が行うものではなく、隣にいる人に気づくことや、身近な地域の課題に関わることともつながっています。

今回の授業のように、現地での体験を写真や言葉に置き換え、生徒自身が考え、対話し、自分の言葉で定義していくことは、想像力を育てる大きな機会になると思います。「知る」だけで終わらず、「自分ならどう考えるか」「自分の生活とどうつながっているか」まで考えることが、学びを実践へつなげる第一歩なのだと思います。