中部州地すべり災害の発生(2007年1月)

 2007年1月12日、スリランカ中部州ヌワラエリヤ県の中山間地ワラパネ郡、ハングランケタ郡において同時多発的な地すべりが発生し、死者16名、被災者数が2万名弱と甚大な被害が出ました。現場に足を運ぶと、スマトラ沖津波の復興に隠れ、政府や国際社会からの支援が乏しい「名もなき災害」として、先に希望を持てずに避難キャンプで暮らす被災者の姿がありました。
 現地への支援が圧倒的に不足する状況を目の当たりにし、代表の石川は、当初考えていた日本への帰国を取りやめ、スリランカでより広範な人道支援活動を行うためにNPO法人格を取得することを決めました。この災害は、私たちの活動を本格化させたターニングポイントとなった災害でもあります。
 幸運にも、日本から活動資金助成を多くいただくことができ、緊急支援から復興支援まで約5年間に渡り、緊急支援から復興まで各フェーズに合わせた活動を実施することができました。
 発災当時はまだ私たちが20代ということもあり、当初の想定通りいかなかったことも多々ありましたが、ニーズ変化が早い開発途上国の被災地で、食料や安全の確保から住宅や仕事作りまでの事業を行えたことは、災害からの地域復興を現場レベルで考え、実践する「大きな糧」となる経験となりました。

スリランカ災害管理省National Building Recearch Oraganizaion作成資料、
The International Research Institute for Climate and Society報告書より一部抜粋

 ヌワラエリヤ県は、紅茶(セイロンティー)の名産地で、年の平均気温が18度と、一年中春のような気候のため、避暑地として観光客が多く訪れる一方、山間地が多く、地滑り災害が多い地域でもあります。傾斜地が多い上に、そもそも住居用の土地が不足(行政に無届で住居に適さないがけ地で暮らしている住民などもいる)している地理的状況に、作物栽培による土壌劣化、気候変動による雨量の変化などの要因が重なり、地滑り災害が高頻度で発生してしまう構図があります。

被災地域のニーズ変化と実施活動

被災地域のニーズは刻々と変化しましたが、当災害の被災の特徴は、下記の通りに集約されます。

地理的に山間部の僻地農村で発生した地すべり災害であり、小規模農家、紅茶農園ワーカーなど零細農家が多く暮らす地域であった。

②被災後の移転地区の選定に時間がかかった(避難キャンプの暮らしが長期化した)上に、政府や国際社会からの支援が乏しく、被災者に自主再建が求められた(スマトラ沖津波や内戦被災地支援に隠れ、外部支援が乏しい「認知度の低い災害」であった)。

被災者の家計の支出割合の変化(被災前と被災後の比較/被災者移転地区Dadayampola移転地区のデータ
IOM作成資料及び住民からのヒアリングにより作成)
被災者の仕事・労働形態の変化(被災前と被災後の比較/被災者移転地区Dadayampola移転地区のデータ
IOM作成資料及び住民からのヒアリングにより作成)

 当会と連携NGOで行ったヒアリング結果によると、被災後に支出に対する食費の割合が増し、収入が減少し、生活が困窮している様子がわかります。また、仕事についても農地を失った農家が、不安定な日雇い仕事に就かざるを得ない状況が垣間見えます。そもそも、なかなか暮らしが大変な状況下に災害が追い打ちをかけ、生活や仕事の基盤を失う人々が発生していました。

緊急支援フェーズ@避難キャンプ(2007年1月~2008年2月)

 2007年1月に、スリランカ中部州ヌワラエリヤ県の中山間地で広範囲で散発的に発生した地滑りにより、2万人近くが被災。当初は70以上もの避難キャンプができました。被災前生活していた村から数十キロ離れた所に移転させられた人が多く、生活の糧であった農地を手放すこととなりました。私たちは、パートナーNGOと共に地滑り発生翌日に現地入りし、食糧・衣類の配布を行い、避難キャンプの数や位置を調査しました。

トイレと簡易水道の設置@避難キャンプ

NEEDS:避難キャンプ内のトイレや生活用水の問題が深刻化

 緊急避難の時期は過ぎたものの、20箇所の避難キャンプが存在し、1200人以上がテント生活を余儀なくされていました。当該地は、水源が乏しく、水自体が枯渇するリスクがある上に、水汲みのために多くの労力が必要なっていました。さらに、トイレが不足し、ハエなども多く発生していました。

ACTION: トイレの新設と修繕、簡易水道を設置

 木製の躯体にトタンと見た目は決して良いとは言えないですが、限られた予算でできるだけ多くのトイレを作ろうということで、特に女性や子どもがトイレを使用する際に安心感が増し、衛生的なトイレができてよかったという声が多く聞かれました(なお、これらの地域では、地面に穴を掘り、そこに用を足す簡易水洗の方式が一般的です)。

・クルルガマキャンプでは、避難世帯の増加かがあったためトイレを1つ新設しました。

・ ナーランタラーワキャンプでは、被災者自らが建設したトイレの補強を兼ねて、トタンの提供を行い、計3つのトイレの修繕を行いました。

・タミルスクールキャンプでは、昨年作ったトイレの簡易浄化槽が一杯になってしまったため、新しい浄化槽やトイレの建設を検討したのですが、スペース不足のため新設は難しいという結果にたどり着きました。問題の解決策として、現在ある浄化槽の汲み取りを行う事が挙げられたため、ヌワラエリヤ市役所(被災地より1時間半離れた街)に要望をしてバキュームカーの手配を行いました。結果、3つのトイレの浄化槽の汚物を汲み上げました。

・ コミュニティセンターキャンプでは、既存のトイレを使用していましたが、管が壊れてしまい悪臭などの問題があったため、修繕を行いました。

※当活動は『JOCAまごころ基金』からの助成により実施されました。

学習スペースと電灯の設置@避難キャンプ

NEEDS:子どものサポートと安心感の向上

避難生活が長期化し、学習環境も整わない状態も長期化しました。子供が集まったり、学習スペースが不足していました。また、夜の電灯がなく、安全性やオイルランプ使用による健康への悪影響が心配されました。

ACTION: 学習スペースの整備と移動図書館を開始。公共電灯も設置

・ナーランタラーワキャンプには、学校に通う子どもが30名います。今まで、キャンプ内で子ども達が集まれる場所はなかったのですが、支援によって簡易的な屋根や壁を取り付け、椅子と机を設置しました。さらに黒板も提供しました。

・タミルスクールキャンプでは、避難生活の長期化し居住スペースが拡大し、当初予定していた学習スペースを設置する場所がなくなってしまいました。協議の結果、キャンプに併設してある昔の建物(学校)を修繕して使うという案が出てきたため、地域教育局より許可を取り、夕方の時間帯に建物を利用した学習スペース提供を行いました。

・ウダマードゥッラキャンプでは、キャンプに併設して建設中の幼稚園がありました。この幼稚園は、地域の住民によって少しずつ建設が進められたものですが、昨年の被災後は、建設が完全に止まっていました。キャンプで生活する子どもも含め16名の子どもが幼稚園に通っており、壁すらない幼稚園で、満足のいく教育環境ではありませんでした。この問題と避難生活をしている子ども達の学習スペースがないという両問題を解決すべく、住民会議を開催。住民の協力を得て、幼稚園の壁などの建設を進め、夕方にキャンプの子ども達にも開放するということになりました。資材の提供をアプカスが行い、住民が労働力等を提供し建設を行いました。完成後は、午前中は幼稚園として、午後からは学習スペースとして活用されています。

・パートナーNGO「スランガニ基金」の協力を得て、上記3つのキャンプに、子ども達の学習環境充実のために絵本や本の提供し、簡易図書館(アリペンチャ)の設置を行いました。

・公共電灯の設置は、私たちが簡易電柱の設置を行い、配線を行えば行政側が電気の供給は行うと言われていましたが、「予算の問題があるので電気供給は難しい。もしも、開設料約6万円を支払ってくれるなら行ってもいい…」と電力局の対応が変わり、予算の関係で断念せざるを得ませんでした。その後、郡事務所との協議も行いましたが、なかなか話し合いが進まず、キャンプ全体への公共電灯の設置は諦め、学習スペースをへのソーラーシステムによる電気供給を行いました。また、ナーランタラーワキャンプは公道からも遠く、他のキャンプと比べてもさらにアクセスが悪いので、緊急時に明かりを確保するためにガスランタンの提供も行いました。これらは、各キャンプにある自治会を通して管理されます。

住民組織の立ち上げと運営サポート

多くの被災者が避難キャンプでテント生活を余儀なくされ、肉体的・精神的にも疲れ切っているのが活動を通してひしひしと伝わってきます。当時の一番大きな課題は、「移転地=新たな生活の場が、なかなか決まらない事」でした。

NEEDS:最大の課題である「移転地」が決まらず、行政との関係も悪化

ワラパネ郡では移転候補地がいくつかあるものの、政治的な問題や地理的な問題が絡み、土地の確保がスムーズに進んでいません。当初予定よりも6ヶ月以上さらに遅れる模様で、避難生活の更なる長期化が懸念されています。

ACTION: 被災者向けのワークショップと情報共有、行政との対話集会を開催

  総合ワークショップでは、全キャンプ避難者を対象に「問題の共有化と解決策の模索」を行い、その後、各キャンプの代表と行政側との調整会議を5回ほど開催しました。この会議では、被災者・行政側が直面している問題をお互いに理解することにより、お互いの信頼関係を向上させるべく関係作りを行いました。さらに、それらの場で話し合われた情報をニュースレターとして発行し、全被災者間での共有、外部者への発信も行いました。これらの活動は、5つの避難キャンプの140家族(519名)を対象に実施されました。

総合ワークショップ

 2007年12月28日ワラパネ町の集会場にて、避難生活の中に広がる様々な問題を自らが積極的に解決していく方向性と被災者と行政との連携の強化を目指したワークショップを開催しました。このワークショップには、Dr.Dasanayake(消費経済局アドバイザー)、Mr.Karunarathna(モラトゥワ大学教授・地理学)、Mr.Gunarathna(教育省アドバイザー)、Mr.Samankumara(弁護士)がファシリテータとして参加。行政側からは、住宅開発局、土地管理局の職員が参加しました。被災者は、18のキャンプより延べ312名が参加しました。

 町から遠いキャンプの人びとの中には2時間もかけて会場に来た人もいました。これほどの人数が一堂に会することは初めてであり、当日会場は異様な熱気に包まれていました。まず、主催者がこのワークショップで目指すものは何かを説明し、ファシリテータの自己紹介と続きました。その後、事前に被災者の代表として選ばれた5名(男性4 名、女性1名)によって各キャンプが抱える問題が発表されました。
 その後、その場でどうしても意見を述べたい被災者が3名(女性2名、男性1名)発言をしました。そして、被災者によって挙げられた様々な問題に対してファシリテータがいくつかの質問を行いました。この質問には、行政側に向けられた質問もありました。例えば、「キャンプに物資を提供するのは誰の責任か?」(ファシリテータ)「県事務所が一括している。その上はどこが担当しているか知らない…」(行政官)。「移転をするならどこか適当な土地があるのか?」(ファシリテータ)「キールティバンダープラというところに50エーカーの土地がある。そこなら、地滑りの再発はない」(被災者)など。
 これらの質問を繰り返すことにより問題の明確化を進め、どこか管轄しているのかを洗い出していきました。また、被災者に質問を投げかける事により、被災者も行政機関の仕組みなどを学び、どのような対応をとれば良いのかなどの理解を深めていきました。その後、ワークショップは「Alternative People’s Tribunal: APT(人びとによる代替的裁判)」へと移りました。

 APTでは、弁護士が中心となり擬似的裁判の形で話し合いを進めます。様々な問題が多面的かつ横断的に絡まっている被災者の問題の場合、個別に処理するのが難しいため、それらを包括的に整理して報告書を作成し、関係機関に対して送付し回答を求めるというものです。ただ、有識者や我々が報告書を作成するのではなく、被災者の生の声を集め、多くの被災者の共通の思いとして報告書に盛り込むということがAPT では重要となります。弁護士が会の進行を行い、ファシリテータ3名が裁判官役とし被災者の声をまとめました。最終的に、関係者の署名を添え報告書を完成させ政府関係機関(大統領府、災害管理・人権省、災害支援・復興省、県事務所、環境省、土地管理局、都市開発局等)に送付しました。

キャンプ代表と行政側との調整会議

 郡事務所を中心としてキャンプ代表と行政側との調整会議を5回開催しました。行政側の都合により定期的な開催は出来ませんでしたが、約2週間に一度の会議を行いました。参加者は、主要なキャンプ(ナーランタラーワ、タミルスクール、エゴラカンダ、コミュニティセンター、キーナゴッラ、ウダマードゥッラ、ニルダンダーヒンナ)の代表者及び、郡事務所事務次官、社会福祉サービス官、公衆衛生官、CBO(地元地域グループ)でした。話し合いを進める中で、現在行政側が抱えている問題や限界を被災者と共有する事ができ、行政に対する被災者の視点にも多少の変化が生まれました。
 また、郡事務所にストックされている支援物資の配給も、会議を通してスムーズに行われました。郡事務所としては、被災者から直接要望が来ないと支援物資の提供は出来ないという立場にいるのですが、被災者はその様な決まりを知らないため、正式な要望を出さないでいるという問題が多くありました。会議を通して、お互いの誤解を解くことが出来ました。

ニュースレターの発行

 調整会議の開催に合わせてニュースレターの発行を行いました。会議で話し合われた内容や、その他中央政府レベル決められる事(見舞金の上限や支払い方法等)など、被災者にとって必要となる情報の提供を行いました。ニュースレターは避難キャンプと中心として配布し、キャンプ以外で避難生活を送っている人びとにも届くように配慮しました。ニュースレターの配布を通して、政府による支援の動向などを伝えるとともに、現在被災者が抱える問題の共有化を進めました。また、政府機関、国連機関、及び、ドナーに対してもEmailを送付し、問題の再認識を促すと共に、全国紙(Lakbeema)にも問題を取り上げてもらい、国内での注目度を上げることに繋げました。

応急復旧フェーズ@移転予定地(2008年3月~2009年3月)

 複数の移転地が造成されましたが、被災前に生活していた村(地すべり災害で帰還は許可されない)から数十キロ離れた所に移転させられた人が多く、耕作していた農地を手放すこととなり、生活の糧を失いました。移転地は、限られた土地で、以前のような広さの畑で耕作はできません。一方、行政の手続きの遅れにより、移転が遅れた一部の人びとは依然としてテントでの生活を強いられていました。

仮設住宅の建設支援

NEEDS:キャンプ生活が長期化し、テントが老朽化している

 夜は比較的涼しいものの日中30度を超える当該地域。避難生活が長期化し、被災時に提供されたテントも老朽化しており、最低限の居住空間すら確保できない状況となっていました。また、行政と各避難所間の情報共有ができていないため、支援の偏りが発生しています。

ACTION: 木材を利用した仮設住宅の建設を行う

 ワラパネ郡ナーランタラーワ地区避難所に「木材による仮設住宅」を建設し、長期のテント生活で疲弊した被災者に対して最低限の住空間を提供します(対象者はナーランタラーワ地区避難所で生活を送る52家族177名。彼らの8割は零細農民であり、所得も低く貯蓄も殆どありません)。合わせて、復興委員会の設立を行い、仮設住宅建設への参加、地域の復興計画作成、行政との話し合いの機会を設け、地域の基盤づくりも行います。

 ナーランタラーワ避難所において自治会を立ち上げ、自治会を中心に仮設住宅建設に向けた準備会議を開催し、建設スケジュール表、及び、責任分担表を作成し、被災者が自ら建設に関わる事をワークショップを開催する中で、再確認しました。その後、建設資材の搬入を開始。避難キャンプを3区画にし、その区画単位で建設を進めました。建設には通常作業員(資材の運搬作業員や大工)が必要ですが、ワークショップでの話し合いを通して、被災者が可能な限り建設に参加することを促すため、作業員の雇用は行わないことにしました。“労働”で建設費用の負担を担ってもらう事になりますが、このことで、より多くの被災者に資材提供できるメリットも説明し、同意を得ることができました。
 一方で、移転予定地は政府所有のため、仮設住宅の土地と建物の所有を巡る法的な課題も発生しました。建設後、仮設住宅の所有権は郡事務所(行政)に帰属し、将来的に移転が必要になったときに移転先にて同資材(解体して回収)を再利用する約束になりました。災害復興は、状況が流動的になりますが、被災者が避難キャンプ地区から、新たな移転地区へ順次移転する段階で、最低限の住空間を提供できたことは、明るいニュースとして被災者に受け入れられました。

 また、連携NGOと共に、被災地域19箇所の避難所を訪問して、自治会の設立をサポートしました。各自治会の代表、政府関係者、地域住民代表及びNGOらによる復興支援委員会を設立し、そこでで協議された内容をニュースレターの形で発表して被災者全体での情報の共有を促進しました。

移転地区での簡易水道敷設

 2008年1月には、ジョンスランド地区において192世帯が生活を始めましたが、この移転地区では、人びとが生活するうえで一番重要な“水”の確保すら政府は用意をしていませんでした。結果として、多くの被災者は、地滑りの危険がある事を知りながらも、もともと生活していた場所へと帰って行きました。しかし、地滑りで住居も失った人びとは帰るところもないため、政府より与えられた水の入手にも苦労する移転地での生活を余儀なくされました。

NEEDS:移転地区の水が足りない。水源が遠い

ジョンスランド地区は、かつての紅茶プランテーションを政府が買い上げ、造成された移転候補地ですが、水道インフラが整っていない移転地区です。この地区内では井戸を掘っても水が出ない可能性が高いと判断せざるをえない状況で、1 時間かけて地区外から井戸水を運ぶ状況になっていました。

ACTION: 約2キロに渡る簡易水道を住民参加型で敷設

 作業を進める住民被災者との協力の下、簡易給水ラインを設置する作業を進めます。およそ全長2kmの給水ラインを水路より引き込む作業は人手が必要なため、住民に作業をしてもらう参加型での実施となりました。水道パイプは、道路脇に側溝を掘り、埋設していきました。水源となる水路から一時的に取水する許可も政府より取り付け、移転地への給水が始まりました。移転地の中に 5つの蛇口を設置し、そこで人びとは水を汲めるようになりました。各戸給水が理想なのかもしれませんが、限られた水資源ということで、公共の蛇口の設置となりました。

 今まで水汲みに多くの負担を強いられており、特に、高齢者の方などは山道を重い水タンクをもって歩くのは非常に大変でした。また、小さな子供をテントに置いて、水汲み行かなければならなかったお母さん達は、子どもの安全への不安を口にしていましたので、その点でも住民の生活が改善したようです。なお、水供給パイプ設置に関わる全ての材料費は、「調布WAT」の方々からのご寄付により購入させて頂きました。この場を借りて、ご厚意に感謝申し上げます。

『調布WAT(調布World Aid Team(調布WAT)』

概要:1991年に設立された「アジアの女性と子どものために」誰にでもできる海外協力ボランティアグループ。国領のリサイクルショップ「調布 WATスペース」と駅前広場でのリサイクルバザーやカンパ等の収益を中心に、タイ・バングラディシュ・ネパール・フィリピンなどの国の識字学級、女性の自立、スラムの子どもの給食・教育に充てるための資金援助やそれに伴う活動を中心に展開。

復興フェーズ@移転地(2009年4月~2011年3月)

 避難キャンプで暮らしていた多くの被災者は、政府が土地を用意した移転地へと移動を開始しています。避難キャンプから各移転地区への移住が概ね終了しているものの、政府は予算の問題上、土地と約5万円の見舞金の提供をするのみで、後は被災者が約50万円かかる住宅の建設を進めなくてはならない状況でした。

適正技術による復興住宅の資材提供

NEEDS:被災者に移転地で復興住宅を作りたいが、政府からの支援は限定的である

 約50万円ほどかかる住宅の建設費用に対し、政府からの見舞金は5万円程度。被災者のほとんどは零細農民であるとともに、昨今の物価高騰(当時、アジアで一番の高インフレ率)により、自ら住宅建設を進めるのは難しい現状でした。厳しい気象条件から人々の健康を守り、特に子どもやお年寄りが安心して生活するためにも、恒久住宅の早期の建設が求められていました。

ACTION: 被災者10名を雇用し、残土でブロックを製造。各世帯1000ブロックを提供し、住宅建設を後押し

 予算的な制約、住民主体の復興という視点から、建設を支援者側が行わず、住居建設(一部屋分)に必要な資材を提供し、セルフビルドによる住宅再建の間接支援を行うことにしました。段階的に資材を提供する仕組みにより、自らの努力と周辺住民との協力を引き出します。スマトラ沖津波の現場での経験から、全ての住宅を“あげる”のではなく、「住宅建設の一部支援」、「オーナーシップを育てる」という過程を通して、被災者が援助漬け(援助への依存)になることを防ぎ、自立型復興への後押しにつながると考えました。

 提供するブロックについては、各世帯1000ブロックとし、スリランカの適正技術開発機関が考案した「セメントと造成残土からブロックを製造する技術」を採用することで、製造コストと輸送費を抑えました。被災者10名を雇用(キャッシュ・フォー・ワーク)し、移動式のブロック製造拠点を整備しました。製造したブロックの余剰分は、復興委員会を通して市場にて販売することで、良質なブロックを作るインセンティブを生み出し、雇用した被災者の継続的な収入にも繋げる仕組みを考えました。

 日本ではあまりなじみがありませんが、スリランカにおいては、住宅建設時に一部のみを完成させ、ライフプランや収入に合わせ、セルフビルド(専門的な作業は大工が担う場合も多い)で増改築してゆくことは、広く一般的です。当事業では、各世帯が自分の計画に応じて、好きな形の家を建築することができますので、支援したブロックで平屋建てのワンルームのみの住居を作る堅実な家族もいれば、2階建ての部屋の1階部分だけを先に造った状態で住み始める家族もいました。

 当事業によって、被災者は、安全な住空間を確保する事ができました。今回の支援では、“家”の完成を目指したわけではなかったため、“家の一部である部屋”が完成したのですが、断熱性能や防水性に劣る木製の仮設住宅に比べると、格段に住環境が改善されました。今までは、雨風が強い日などは雨漏りや住宅の倒壊の危険性があったのですが、ブロックを使用した住居の建設によりそれらの心配がなくなりました。安全な居住空間が確保されたことにより、精神的な安らぎも確保され、将来への希望を持てるようになったとの声を多く聞きました。
 特に、小さな子どもがいる家庭では、「この村で我が子が将来も暮らせるのか正直疑問に思っていたけど、子どもたちのためにもまだ頑張るぞ!という気持になった」という声を聞いた時は、担当スタッフもうれしそうな顔をしていました。

 一方で、資材の提供の開始前に、他のNGOと話し合いで、住宅資材の支援地区の振分けを行いましたが、実際にはいくつかのNGOが約束していたものの撤退してしまい、住宅建設の支援を受けられない被災者、いわゆる「支援の偏り」が発生してしまいました。
 また、2009年内にも新たな地滑り被害が発生し、住宅を失った新規被災者グループが発生。そのため、2009年の75世帯に続き、翌年の2010年も予算を獲得し、追加で支援を受けられなかった27世帯の被災者へ住宅資材の提供を行いました。

フィールドノート「ワラパネの地滑り被災移転地を訪れて」(2009年10月)

前田昌弘(京都大学大学院工学研究科)

 2009年10月中旬、アプカスによるワラパネの地滑り被災地復興支援事業の調査に同行させて頂きました。ワラパネの移転地を訪れて、まず居住環境の実態に驚きました。地滑り災害の発生から既に3年近くが経ちますが、被災者は移転地にようやく移住し生活を再開し始めたばかりです。しかも大半の移転地では水道・電気・トイレなどの基本的な生活サービスが無く、いまだに仮設住宅や避難テントに住む被災者も少なくありません。私はこれまでスリランカ南部のマータラ県で2004年インド洋大津波後の復興住宅の調査を行ってきました。短期間のうちに完成した津波被災地の移転地と比べると、地滑り被災地の移転地は進捗が遅く居住環境も劣悪であるという印象を受けました。

ただ、津波被災地と地滑り被災地では、そもそも支援環境が大きく異なります。津波被災地は被害状況が海外のニュースでも大きく報じられ、大量の支援が寄せられました。一方、地滑り被災地は、国外はおろかスリランカ国内でも認知度が低く、十分な支援があるとは言えません。

では、津波被災地のほうが地滑り被災地よりも望ましい復興が行われているかというと、そうとも言い切れません。

確かに、地滑り被災地の移転地は現段階では居住環境として不十分かもしれません。しかし地滑り被災地では地元住民、NGO、援助機関などの努力により、徐々に支援が集まりつつあるようです。最初は何もなかった土地に徐々に水道、電気、トイレ、住宅建材などが様々な人々の協力により供給されつつあります。住民は支援を受けながら自力建設を行います。自らの責任と能力で住宅再建を行う人々の顔は生活再建の実感に溢れているように見えました。それはスピードを重視するあまり住民の意思をしばしば置き去りにしてきた津波被災地の移転地ではなかなか見られなかった光景です。

今回の調査は私にとって、生活再建の実感をともなう復興の重要性を改めて確認する機会となりました。

(左写真)ワラパネの地滑り被災移転地の景観:道路、水道、電気、トイレ、住宅等が徐々に建設されていく。住宅は住民の自力建設による。 (右写真)マータラの津波被災移転地の景観:移転地の設備は全て行政とドナーによって短期間で建設され、住民に引き渡された。

被災者への生計向上支援(2010年~)

 2007年に発生したスリランカ中部州大規模地すべり災害。外部からの援助の手が極端に少なかった同被災地に対して、アプカスは、発生当時から現地に事務所を開設し、緊急支援、上下水道やトイレなどのインフラの整備、教育支援、住宅資材の提供等の事業をここまで行ってきました。2010年以降は、復興から自立へをテーマに「生計向上」活動を展開することとなりました。

 事業予定地の被災者の95%が農業従事者であり、被災前は約600~1000坪の田畑を耕作して生計を立てていました。被災後、政府は、150坪の土地を各家族に提供しましたが、住宅を建設した後に利用できる土地はごくわずかで、以前のように農業によって生計を立てていくことが難しくなっています。日々の生活も不安定な日雇い労働等に頼っているため、世帯の収入が激減しています。そのため、都市部へ出稼ぎに出る人も増えており、移転地内の男性人口が減り、労働力が必要となる住宅やインフラ整備などの復興活動の進捗にも支障をきたし始めています。また、移転に伴い、さらなる僻地へと引っ越すこととなり、特に女性が仕事を得る機会が激減している状況にあります。

被災者の仕事・労働形態の変化(被災前と被災後の比較/被災者移転地区Dadayampola移転地区のデータ
IOM作成資料及び住民からのヒアリングにより作成)

NEEDS:耕作地が少なくなった移転地で、仕事を作る必要がある

移転地は、限られた土地で以前のような耕作はできません。地すべり被災世帯約200世帯に対して、地域の実情に立脚した「きめ細やかな生計向上支援」を行うことで、地域全体が多様に自立発展する素地を作る必要があります。

ACTION: 狭い土地でもできる新たな農業系の仕事に挑戦

 地すべり被災地での総合的な生計向上事業として、種栽培、家畜、換金性の高い作物栽培、農産物加工技術、キノコ栽培の支援、共同農地の整備、ミシンの提供を行いました。

2010年の生計向上支援活動を実施した後には、農業、酪農畜産業から収入を得る人が増加し、日雇い仕事と仕事のない人が減少しました。少なくても、日々数時間かけて街に日雇い仕事を探しに行く人は減る結果になりました(アンケートを当会で実施)
同じく、出費に占める食費の割合も減少したことから、収入増加(もしくは支出の減少)に繋がっていると言えそうです

210年~2012年の期間で、地すべり被災地での総合的な生計向上事業として、

農地提供

 移転地近隣の農地3ヘクタールを借り上げ、被災者に提供します。最初の耕作に必要な資材は提供しますが、農業技術指導、販売促進のサポートを行い、次年度以降は自ら土地借料を捻出できるような体制を目指します。なお、農地では、トウモロコシ、タロイモ、インゲン、ナス、ゴーヤ等を栽培しました。

家畜(乳牛、ヤギ)の提供

 ヌワラエリヤ県地域家畜管理事務所の協力の下、乳牛の飼育を以前行っていた世帯を選び、乳牛1頭を提供します。ヤギも同様に1頭ずつ提供し、搾乳用として飼育します。生乳はそれぞれの移転地で自家販売し、鶏は50羽を採卵用として飼育します。

養蜂

養蜂については、ほとんどの被災者が経験がないため、専門家による3日間の集中トレーニングを実施しました。養蜂トレーニングを終了した18名に対して、養蜂に必要な道具を配布しました。その後、巣箱を設置し、養蜂をスタート。18名中、10名の巣箱では女王蜂が定着しない問題が発生したものの専門家が塗料や巣穴サイズの調整を指導し、改善を行いました。

家庭菜園キットの配布と種の生産

 土地の有効利用のため約10坪の家庭菜園を開始し、自家消費する野菜を少しでも確保し食費の軽減を図ります。また、需要の高い品種の種を栽培・採取・出荷することで、収入の増加を目指します。5月下旬に、デッロワッテ移転地区、ウダマードゥラ移転地区、ロックランド移転地区、ニルダンダーヒンナ・エゴラカンダ移転地区(両移転地区で共同開催)において、順次家庭菜園のワークショップを開催し、野菜栽培セットを配布しました。

 家庭菜園技術の移転は、希望者が多く、2011年も継続して行いました。一部の実践トレーニングでは、移転地住民が協力して受け入れ住民へ栽培技術を教える方式を採用し、ワークショップでは、家から出る生ごみや周辺にあるものを利用した有機肥料の作り方、乾季における管理の仕方、天敵やコンパニオンプラントの有効利用法などを学び、持続型農法の基礎も学びます。専門家は、ワークショップ開催後、定期的に受益者の家を訪問し、必要な技術の移転を行っていきました。これらのノウハウは、食品と健康ブランド「Kenko1st」プロジェクトにも引き継がれていきました。

 インゲン、トマト、ナス、キャベツ、カブ、ニガウリ、カボチャ、キュウリ、ビート、オクラ、トウガラシ等の中から、専門家の判断で数種類の野菜を栽培します。基本的に自家消費用ですが、余剰分は、販売・加工用として利用します。

キノコ栽培

キノコ栽培では、ウィダータ生計向上技術センターの協力を受けて、9名を対象に14日間のトレーニングを実施した後、栽培キットを提供しました。その後、きのこ培地の製造を開始し、培地の製造と共に、キノコ栽培用の小屋建設は、住民が各自行いました。レンガで壁を作り、通気を確保するために麻布を利用した窓を設置しました。

農業振興センター建設と食品加工技術の導入

農業振興センターを建設し、日本から食品乾燥機(木原製作所製)を導入しました。今まで収穫集中期には余剰分が発生して廃棄されていたトマトやきのこ等の農産物の有効利用が可能となりました。

ミシン提供

郡事務次官の推薦によりミシンを提供する受益者を決定し、ミシンの配布を行いました。

地すべり被災地域における校舎建設

 マドゥーラ(Madulla)小中高校は、女子657名・男子632名・合計1289名の生徒が通うワラパネ郡マドゥッラ村にある唯一の学校ですが、慢性的な教室不足のため、9学年(15歳)の生徒156名が屋外で授業を行うことを余儀なくされています。
 特に、雨季の時期には授業の継続が難しくなっており、その時期は生徒が登校しなく、学力の低下へとつながっています。また、保護者のほとんどは、零細農民であり、経済的な問題が優先課題となり、子どもの教育への関心が低いという問題もあります。さらに、栄養失調の子どもがいることも報告されており、子どもの健全な成長を妨げ、学習活動にも影響が及んでいます。

NEEDS:教室が足りずに一部青空教室で授業が行われている。栄養が不足している児童がいる

 

ACTION: 3つの教室がある校舎建設&学校菜園を整備

 3つの教室がある校舎の建設を通して、屋外での学習を余儀なくされている生徒の学習環境の改善と、学校菜園による子どもの栄養改善を行います。なお、校舎はレンガ造りのスリランカにおいて標準的な校舎で、既存の学校発展委員会が中心となり、計画作り、資材購入、管理等を行い、建設作業の一部は、保護者にも協力してもらいます。工期は5カ月程度を想定し、事業全体を通して、保護者・教職員のやる気を引き出せるように伴走しながら、建設を進めます。
 また、0.5ヘクタールほどある学校の敷地を有効利用し、学校菜園をはじめます。トウモロコシ、キャッサバ、バナナ等の作物を栽培し、収穫したものを低学年の子どもに提供します。科目の1つである「農業」の授業でも菜園を利用することにより、生徒の学習にも役立ちます。また、保護者の協力も得ることにより、学校側との連携強化が期待できます。学校菜園は、雨季が始まる10月後半から11月にかけて開始し、早いもので3カ月後に収穫を行います。

子どもクラブや補講クラスの実施を通した学業支援

 スリランカは都市と農村における教育格差は深刻です。地すべり被災地域では、公的な教育システムが形としてはあるものの、僻地のため適切な教員数がの配置がなされず、学校では高校進学に対して必要不可欠な科目(数学・化学・英語)も充分に教えられていないのが現状です。
 そのため、高校入試試験結果も全国でワースト2位(2006年度の全国一斉高校入試試験の結果では、移転地区のあるワラパネ地域の合格率は25.8%で全国ワースト2位。これは、1位のコロンボ地域は71.6%)という状況です。進学はその後の就職に大きく影響するため、長期的な地域の発展を考えると、子どもたちの進学が非常に重要だと考えています。また、“僻地”という理由で基本的な授業すら受けられない状況は決して望ましいものではありません。

NEEDS:教育インフラが整っておらず、生徒の学ぶ環境が確保されていない

 

ACTION: 最大5移転地区で、子どもクラブ、英語クラス、高校進学の学習サポートクラスを運営

およそ350名の当該地区の子どもを対象に

子どもクラブ(2009年-11年)

 5つの移転地においてそれぞれ子ども会の設立を行い、学力向上やストレス緩和に向けたプログラムを実施しました

英語クラス(2010年-11年)

 8地区において、それぞれ35~45名の子どもを募集します。子どもの年齢や英語力の差によって2~3のグループに分け講習を行います。なお、各地区において週2回の英語クラスを開催しました。
(ワラパネ郡デッロワッテ、エゴラカンダ、ニルダンダーヒンナ、ダダヤンポラ、ロックランド、パディヤペレッラ、ウダプッサラーワ、セールピティヤ地区)

補講クラス(高校入試対策セミナー)(2010年-11年)

3地区で、2つの教科について8回のセミナーを実施します。土曜日等、学校が休みの時にセミナーを行い、各地区において約50名の生徒が参加しました。
(ヌワラエリヤ県ワラパネ郡ニルダンダーヒンナ、パディヤペレッラ、ウダプッサラーワ地区)

 英語クラスに時折足を運ぶと「Good Afternoon, How are you? Where are you from?」と子どもたちが次から次へと質問をしてきます。中には恥ずかしがって話をしない子どももいますが、多くの子どもが学習した英語を少しでも使って見たいという意欲が感じられました。あるクラスの先生は、「このような僻地の学校には通常英語の先生が来ないため、子どもたちは英語を学習する機会を失い、そのため英語に対する“恐怖心”のようなものが出来上がり、大きくなってからその機会を得ても学習することが難しい。小さいうちから少しでも英語に慣れる必要があり、その意味でもこの英語クラスは子どもたちにとってとても重要である」と述べていました。(2012年3月)。

パートナー

当該地すべり被災地での活動については、下記の組織から活動助成、寄付金をいただき実施することができました。この場を借りて、感謝申し上げます。

JOCAまごころ基金
ゆうちょ国際ボランティア貯金
大阪コミュニティ財団 がっこう基金
調布WAT