プロジェクト実施記録

2011年3月11日に東日本大震災が発生し、東北沿岸での甚大な被害が明らかになるにつれて、海外NGOセクターも緊急支援活動で日本国内の現場に入ることが伝わってきました。スリランカでの事業も多く抱えていたため、すぐには現場入りは叶いませんでしたが、パートナーNGOパルシックの緊急支援活動の初動チームの一員として、3月末に宮城県石巻市に入ることができました。
 
 3月末の派遣当初は、「日本のような先進国で私たちの経験がどう活かせるか」全くわからない中での活動のスタートでしたが、行政や自治機能にも大きな被害が出たため、発災後20日を過ぎても、被災者の安否や避難所の所在情報も混乱を極め、食料や物資不足も深刻な状態が続いていました。当初は1か月程度で活動を終了しようと考えていましたが、被災地では引き続き多くのニーズがあったことから、スリランカでの活動と並行して、東日本大震災被災地でも活動を継続する事に決めました。

 その後、2年半ほど、宮城県で復興支援の活動を行う事が出来ましたが、特に避難救援期~応急復旧期の現場での日報とニーズ変化を今後の災害対応の記録として残すために当ページを再編集しました。

東日本大震災 活動記録(2011年3月29日~2011年5月31日)

アクション

1.避難拠点へのニーズベース(御用聞き)による物資配布(パルシック、IVYと協働)

 2011年4月初旬から、宮城県石巻市に拠点事務所と物資倉庫を構え、パートナー団体を合わせ常時10名ほどのメンバーとボランティアの皆さんと、石巻、気仙沼、女川、南三陸の65を越える被災者グループへ食料品、生活物資、資材などの緊急物資支援を行いました。

 当活動では、被害の大きい石巻、南三陸町、気仙沼市周辺の特に支援の行きと届いていない地域、避難所に焦点を当て、ニーズに基づいた支援物資の配布、地域間の支援ギャップを埋めるための活動を行う一方で、都市部の支援の行き届いていない地区に対しても支援と共にニーズ調査を行いました。

2.外国政府、国際機関、企業からの大規模支援物資のマッチング(パルシックと協働)

 東芝(ソーラーパネル・家電製品・光触媒スプレー)、カネカ(ソーラーパネル)、間仕切り(コクヨ)、水(ゼスプリインターナショナルジャパン)日本テトラパック(ロングライフ牛乳)、調理器具セット(グループセブジャパン)、歯ブラシ・歯磨き粉・洗剤(花王)、清掃用ウエス(クラレ)、介護用エプロン(グンゼ)、おもちゃ(日本玩具協会)、シューズ(ECCOJapan)、消毒液・アルガード(ロート製薬)、うがい薬(伊藤忠商事)、サージカルマスク(東陽)、パソコン(パナソニック)、木製折りたたみデスク&チェア(良品計画)、デジタルカメラ(カシオ)、クッキー(ANA)、ルーテル教会(味噌、醤油、野菜、洗濯機、乾燥機など)、タイ国政府(水、懐中電灯、ポロシャツ)、スリランカ国政府(紅茶)など

3.ボランティアの受け入れとコーディネート

 合わせて、石巻市ににボランティアの受け入れ拠点を構築しました。酪農学園大学学生ボランティアチームを4月30日~6月下旬まで大学教員を含め各班5名、合計40名程度を一週間交替で受け入れました。また、北海道、東京、札幌、大阪、京都などからのべ30名以上受け入れました。

パートナー

パルシック(PARCIC)
国際ボランティアセンター山形(IVY)
小国フォルケ・ホイスコーレ
いしのまき環境ネット
酪農学園大学
ジャパンプラットフォーム(JPF)

活動詳細(2011年4月)

2011年3月11日:
発災。石川はスリランカ、伊藤は函館。

2011年3月下旬:
パートナーNGOであるパルシックと協働で現地への派遣を検討。石川の帰国準備。

2011年3月31日
Aチーム(先遣隊/石川)発。新潟、山形県小国町で情報収集、物資調達

4月1日
山形から石巻へ。IVYと共に女川周辺の小規模避難所に長靴と下着を配布

4月1日 女川の様子
4月1日 長靴配布の様子
4月1日 牡鹿半島 災害発生時の孤立地区 ヘリへのメッセージ


4月2日
石巻、南三陸町、気仙沼と45号線沿いに北上予定。周辺の特に支援が届いていない避難所の洗い出しとニーズ調査、物資配布準備

4月3日:
Aチーム(先遣隊):女川、気仙沼周辺地域で引き続き、ニーズ調査と物資配布/Bチーム(後発隊/伊藤):出発。山形に合流しで物資購入。長靴、サンダル、チーム用事務用品など

4月3日 東松島の避難所の一室をお借りして活動開始

4月4日:
Aチーム:女川、気仙沼周辺地域で引き続き、ニーズ調査と物資配布/Bチーム:山形で物資購入。消臭剤、女性下着、うがい薬など。東松島で合流

4月4日 ガソリンの不足が顕在化。佐賀ネットワーク、有田動物病院からの届いた携行缶(山形物資拠点)

【現地での所感】「石巻」、「気仙沼」、「南三陸」など市町村レベルで考えると混乱が生じると思います。たとえば石巻は中心街は大手スーパーなども復旧し、活気もでてきてますが、沿岸部は変わらず支援が必要な地域です(石川、4月4日)

4月5日:
Aチーム:石巻市内の物資リサ-チ。国際ボランティアセンター山形(IVY)と共に石巻の新共同拠点を選定/Bチーム:Aチームが昨日まで行ったニーズ調査に基づき、南三陸町歌津町周辺の各避難所で物資配布とニーズ調査。

4月5日 南三陸町の避難所の一つに炊き出し調理時に使用する長靴を届けました。
4月5日 及川デニムが自らの会社スペースを避難所として提供。公式避難所と比べ支援が届かない中でも明るく協力し合っている姿は、こちら側も明るくさせてくれます。ここにも支援物資を届けることができました

4月6日:
Aチーム:気仙沼市唐桑町でニーズ調査、物資の配布/Bチーム:女川、牡鹿半島でニーズ調査、物資配布

4月6日 ガソリンスタンド営業中です
4月6日 牡鹿半島
4月6日 南三陸町 志津川
4月6日 女川町 大谷川浜
女川町 女川町立病院より

4月7日
Aチーム:IVYとの調整、事務作業/Bチーム:女川、牡鹿半島でニーズ調査、物資配布

4月7日 女川町 小規模の民間避難所の前で子どもたちがピース
4月7日 牡鹿町 鮎川浜

4月8日
未明発生の地震に宿泊先の小学校で対応。1チーム休息。残りメンバーは、石巻で翌日配布予定の物資調達。菱沼合流し、3チーム体制に。

4月8日 牡鹿半島。がれきの中から見つかった写真を取り出し、被災前の漁師さんの生活を教えてくれました
4月8日  牡鹿半島、御番所山付近。半島の先端部までニーズ調査を行いました。

4月9日
石川、菱沼、伊藤で、陸前高田、気仙沼、南三陸町のニーズ調査および物資運搬を実施

4月9日 避難拠点への物資配布
4月9日 気仙沼市唐桑地区。記念写真にも快く応じてくれた避難所運営者の皆さんと。
4月9日 本吉町大沢地区で梅男さんと。この時の物資支援のご縁が気仙沼市での長期活動に繋がりました。
大沢地区物資拠点掲示物

4月10日
IVYの皆さんと共に3チームに分かれ、南三陸町、女川町、ニーズ調査および物資配布

4月10日 南三陸町歌津周辺で3世帯の家族が暮らす小さな避難所。英語表記は外国の支援者に感謝をこめてとのこと。
4月10日 津波にも負けなかった木(季節の一本松?)がありました。陸前高田
4月10日 南三陸町。二度目の地震で壊れた外壁の修理について、皆さんと必要な資材に関して意見交換中。手に様々な技術を持つたくましい皆さんでした。
4月10日 津波被害があった地域にも梅が咲き始めました
4月10日 なんか沁みました

4月11日
牡鹿半島に支援がほとんど届いていない緊急性の高い避難所をフィールドチームが発見。飲料水すら不足している状況を少しでも早く改善するために物資運搬を実施

4月12日
石川、伊藤は、石巻から釜石方面を視察。物資運搬チームは南三陸町で建材や工具を運搬。別チームは、石巻で小さな単位のリクエスト物資を調達と石巻市内のニーズ調査、拠点倉庫の整理。フィールドチーム6人に増加。

【現地での所感】石巻など都市部の被災者にも支援が行き届いていない現状が見えてきました。最初の10日間ほどは、より奥地の支援届いていない避難所を探し出し、住民の要望が高い物資の供給を行いました。しかし、僻地の被災住民はもともと「行政サービスの恩恵が少ない」ことから、自立心が高く、それを補完する「互助」のネットワークがあり、逆境の中でも助け合う関係が大きなセーフティネットになっています。一方で、都市部の被災地は全体的な復興の優先度は高いものの、住民間のは互助の関係が僻地ほど強くないため、支援が届かない人への影響も大きくなる傾向があるように思います。現在、僻地の避難所にも物資が充足され始めてきています。これからの活動では僻地に加え、都市部の支援の行き届いていない地域やグループのニーズ調査も行っていきたいと考えています(石川、4月12日)

4月12日 釜石の警察署前の駐車場スペースにに並ぶ被災した車の数々。それでも、市街にはまだ多くの手つかずの車があります
4月12日 岩手県釜石港

4月13日
今後のニーズを見据え、日本玩具協会会員企業から、おもちゃ提供を受取。フィールドチームは、牡鹿で行われる炊き出しのサポート。

4月13日 数日後に行ってみると・・・我が家を失う悲しみが痛いほど伝わってきます
4月13日 こういった看板をみるたびに「有効な防災」とは何か、考えらされます


4月14日
石川、伊藤、スリランカの海外青年協力隊OBなどの方を交え、牡鹿半島の各避難所を訪問。翌々日の避難所への「牛肉」運搬の準備。

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4月15日
石巻事務所の支援物資の整理。受け入れ拠点の準備開始。石巻市市内物資の調達。

4月15日 がれきの片づけ作業中の老夫婦といすだけ残ったバス停待合室跡で雑談。「いつもの季節のいつもの作業ができないことが、一番さびしい」と
4月15日 がれきの片づけ作業。ガラス、木片、家財道具などの運び出しは危険で重労働です。特にアクセルの悪い僻地は撤去まで一年以上かかるという話も。
4月15日 牡鹿半島で協働で活動している小国フォルケが炊き出しを実施。みなさんに喜んでいただけました

4月16日
「土曜は肉の日」作戦。山形県の企業の協力の下、牛肉200kg、野菜、豆腐などを以前から要望の強かった食材を陸前高田、気仙沼、南三陸町、牡鹿半島の避難所に運搬。伊藤が後方支援に回るために函館へ。

4月17日
物資保管用の簡易倉庫を建設。ボランティア受け入れ態勢の整備。避難所難民の調査。

4月18日
南三陸町で、焼き魚の炊き出し、ソーラーパネルの設置(東芝)、間仕切りの導入(コクヨ)などについて各避難所と調整。拠点の物資の整理と在庫管理。物資のマッチングプロジェクトの立ち上げ。

4月19日
フィールドチームが7人体制。南三陸町に物資運搬、石巻市北上の避難所を新規開拓し、ニーズ調査を実施。酪農学園大学と学生ボランティアの受け入れについて調整。

4月20日
物資マッチングプロジェクトのシステム構築と調整。調理用具(グループセブ ジャパン)、ロングライフ牛乳(日本テトラパック)、衛生用品(花王)、ソーラーパネル(カネカ)等の寄贈を受け、各避難所と調整。フィールドチーム1チームは、牡鹿半島で炊き出し。

4月20日 記憶を引き継ぐ難しさ・・・
4月20日 髪を切ることで、少しずつ日常を取り戻していく。何かとても、象徴的でした

4月21日
宮城県北上町、雄勝方面の避難所の調査、ニーズ調査開始。別チームは石巻市内の複数の避難所にも衣料品を中心に運搬。避難所間の余剰物資の融通・調整サポート開始。

4月22日
牡鹿半島へニーズ調査と物資運搬。中長期の支援に関するヒアリングを開始。

4月23日
石巻市内、南三陸町で物資配布とニーズ調査。気仙沼で炊き出し。
拠点で物資の整理とボランティアの受け入れ態勢の整備。石巻で復興関連の会議に参加。

4月25日
拠点で物資の整理とボランティアの受け入れ態勢の整備。雄勝方面へ新規避難所のニーズ調査。

4月26日
南三陸町ベイサイドアリーナなどに物資配布。スリランカ大使の被災地訪問調整。気仙沼で炊き出し。後方支援組は、酪農学園大学黒澤記念講堂で当活動に関する報告と学生ボランティアの受け入れに関するオリエンテーションに参加。

4月27日
気仙沼で物資配布とニーズ調査。牡鹿半島でソーラー関連の調整。当活動に関する報告と学生ボランティアの受け入れに関するオリエンテーションに参加。JICA札幌、EPO北海道で情報交換。

4月28日
ソーラー発電機(カネカ)12台のの運搬と設置を雄勝地区で。スリランカ大使被災地訪問コーディネート。

4月29日
雄勝地区でソーラー発電機配布。拠点物資の整理。東京、大阪からボランティア11名受け入れ。

4月29日 連休期間のボランティアの受け入れのために急ピッチで仮設住宅を準備中。河村さんのご厚意に感謝

4月30日
酪農大ボランティア一次隊4名受け入れ。GW期間の20人規模の活動開始。牡鹿方面、雄勝方面への物資の運搬。石巻市内、牡鹿での瓦礫撤去活動。

4月30日 酪農学園大学学生ボランティアチーム第一班が到着。早速物資の仕分けのレクチャーを受けています。若い力に期待です

活動詳細(2011年5月)


5月1日
ボランティアメンバーをローテーション制でチーム分け。1チームは、石巻市内で物資調達、残り2チームは、雄勝半島・石巻市街地、気仙沼・南三陸町の各避難所に食料と衛生用品などの物資の配布とニーズ調査を実施。

5月1日 石巻街道からの眺め。気がつけば、3月31日からの活動も一カ月を超えました

【現地での所感】物資については、物資を自らで調達する避難所も多くなってきましたが、継続的な支援が必要な避難所への物資提供に加え、仮設住宅建設の入居を見据えた物資の準備も必要になってくると考えています。
仮設住宅の建設も急ピッチで進んでいるようですが、仮設住宅の「土地の選定」の問題はないか?「災害弱者のグループ」、例えば二次被災世帯(家は壊れていないが、周りの人が仮設住宅に入居してしまい空洞化した地区で暮らす世帯)への配慮はなされているか?等の観点から、避難所に足を運び、お話を聞いています。また、住宅やインフラ設備などのハード面が整えばいいというわけではありません。仮設住宅で起こるコミュニティ特有の問題など、ソフト面でNPOやNGOが積極的に関わって行く必要があると思います。住宅の戸数といった「量」の問題ではなく、住宅環境などの「質」の問題こそ、重要です(伊藤、5月1日)

5月2日
牡鹿半島、気仙沼方面、女川・雄勝方面、東松島市の各チームに分かれ、ニーズ調査と物資配布。また、石巻市内半壊住居、気仙沼市小泉浜ボランティアセンターで瓦礫掃除チームを派遣。北海道新聞みなみ風にあくしゅプロジェクト記事が掲載。タイ国政府の支援物資を調整。

5月2日 学生さんと社会人の混合メンバーから成る連休ボランティアチームが、牡鹿半島でホームステイをしながら、がれき撤去作業ボランティア開始。簡単なごあいさつから。


5月3日
牡鹿方面では物資の配布と共に刺身などの炊き出しを実施。南三陸町方面にニーズ調査と物資配布。引き続き、石巻市内半壊世帯、気仙沼市小泉浜地区、牡鹿半島ワカメ工場で現地滞在型の瓦礫掃除にチーム派遣。仮設住宅に関する進捗状況をヒアリング。

【写真左上】酪農学園大学学生ボランティアチーム第1班も、汗を流しました【写真左下】刺身の炊き出し。やはり、浜の皆さんは、魚なしでは元気が出ないとのこと【写真右下】連休ボランティアチームも共同作業、交流を通して現地の皆さんとの関係も深まり、時間はあっという間に過ぎて行きました。

5月4日
東松島市方面、南三陸町方面へ物資運搬。牡鹿半島、気仙沼市小泉浜で瓦礫撤去。5名のボランティアで拠点倉庫整理。

5月5日
GWボランティアの皆さんが活動終了。気仙沼市小泉浜瓦礫撤去、石巻市内で物資調達。函館市からの物資支援企画「あくしゅプロジェクト」について、支援の取りまとめ窓口の北海道国際交流センター(HIF)で打ち合わせ。

5月5日被災地への物資支援活動「あくしゅプロジェクト」の物資受付窓口になっていただいているHIF&JICA函館ボランティアメンバーの皆さんと

5月6日
気仙沼市小泉浜瓦礫撤去、女川・雄勝方面へ物資配布、石巻市内で物資調達。

5月6日 石巻駅前の炊き出し風景

5月7日
酪農大ボランティア二次隊4名受け入れ。東松島市避難所の畳搬入。運搬物資の調達と倉庫整理。

5月8日
気仙沼本吉・南三陸方面、本吉総合支所に間仕切り(コクヨ)運搬、石巻市内泥かき、石巻市鹿妻南地区の在宅避難者調査。

5月9日
南三陸町・気仙沼方面、雄勝方面、女川町、鹿妻南配布へ計4チームが配布。東松島市で炊き出し。

5月10日
避難所の現状を総ざらい作戦。気仙沼方面、南三陸方面、雄勝・北上方面、女川方面の4チームが、現存しているできるだけ多くに避難所に足を運び現状調査開始。また、復興住宅関連のネットワーク構築。

5月10日 大きな被害を受けた石巻市の日本製紙工場。大きな雇用の受け皿になっているパルプ産業の復旧に向けて関係者の懸命の努力が続いています。
5月10日 石巻工業港のがれき集積地。風の強い日には、ごみが飛ばされるという問題があるようです
5月10日 改めて今回の災害がいかに甚大であったから、感じいる瞬間でした

5月11日
避難所の現状を総ざらい作戦二日目。

5月11日 明るいメッセージに希望を託して

5月12日
南三陸町、気仙沼市本吉、物資配布。夏物衣料ニーズ調査。

5月13日
南三陸町で仮設住宅関連のヒアリング。酪農大学ボランティアチームは、気仙沼市本吉「はまセン(浜区ボランティアセンター)」へ派遣。夏物衣料ニーズ調査。

5月14日
酪農大学ボランティアチーム第2班帰路へ。第3班受け入れ後、石巻市内で泥かき。石巻市内で納豆とスニーカーの物資配布、牡鹿半島で住宅関連の調査、気仙沼市本吉のボランティアセンターでヒアリング、夏物衣料ニーズ調査。

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酪農学園大学学生ボランティアチーム第2班の北海道出発前に記念撮影。出会いあり、別れありです。本当にお疲れさまでした

5月15日
南三陸町、牡鹿半島で住宅関連の調査。夏物衣料ニーズ調査。あくしゅプロジェクト延長決定。スリランカ政府派遣チームと交流。

現地メンバー、ボランティア、拠点を提供してくれた川村さん、PARCIC井上さんらと

5月16日
酪農大学ボランティアチームを気仙沼市本吉「はまセン」へ派遣。

【写真】現場視察にお付き合いいただいたお父さん。近くに咲いていた花を摘んで奥さんにプレゼントとのこと。車に乗り込みながら、スタッフと少し照れ笑い。

5月17日
タイ国政府の支援物資調整。石巻での炊き出し。

5月18日
気仙沼・南三陸町方面物資配布。

5月19日
南三陸町住宅・漁業関連調査。炊き出しグループ、いしのまき環境ネットと意見交換会。

5月20日
石巻市内で、半壊世帯の現状、応急修理制度など被災支援に関するヒアリング調査。スリランカ政府関係者被災地訪問サポート。

【写真左】酪農学園大学ボランティアチーム3班活動最終日。石巻市内の自宅避難者の実態調査を学生チームに任せました。石川の説明を真剣に聞いています。【写真右】行政が未だ機能不全である石巻市。市内中心部でも支援の届かない場所がまだ存在しています。全壊認定された自宅2階に暮らす在宅避難地域。学生ボランティアが一軒一軒在宅している方にお話しを伺いました。

5月21日
伊藤が石巻から函館へ。酪農大学ボランティアチーム第3班帰路。その後第4班受け入れ。南三陸町仮設住宅関連で被災者ヒアリング。

5月22日
石巻市鹿妻南地区で今後の自治会運営について協議。石巻市内大街道周辺の実態調査および片づけ支援。牡鹿・女川へ物資配布。

5月23日
石巻市内の悪臭改善のための有効微生物資材散布作業に参加。被災者の生活実態調査

5月24日
南三陸町荒砥地区、石巻市三ッ股地区ででフィールド調査。フィールド基金より、石巻自治会へハイパワーメガホンを購入。

5月25日
石巻市大街道南に物資配布。

5月26日
女川、牡鹿へ物資配布。北上町で流失した特産品のスレート拾い。石巻市三ッ股で被災者の生活実態調査。

5月27日
鹿妻自治会と調整。気仙沼、南三陸方面配布。北上町で炊き出し実施。

5月28日
鹿妻南配送および倉庫整理。

5月29日
物資の調達および倉庫整理。地元関係者と交流

5月30日
鹿妻南で生活実態調査アンケート集計作業。女川町物資配布。

5月31日
鹿妻南で生活実態調査アンケート集計作業。石巻市大門町で生活実態調査。前日の強風被害で壊れた家屋の修理。

東日本大震災 活動記録(2011年6月1日~2011年7月31日)

活動詳細(2011年6月)

 2011年3月31日より、現地にスタッフを派遣し、被害の大きい石巻、南三陸町、気仙沼市周辺の特に支援の行きと届いていない地域、避難所に焦点を当て、ニーズに基づいた支援物資の配布、地域間の支援ギャップを埋めるための活動を行ってきました。
 6月からは、活動の中で物資支援の割合を小さくし、都市部および漁村部の支援の行き届いていない地域やグループの実態調査を開始し、中長期の支援活動へつなげられればと考え、関係機関、地元グループとの関係を強化し、中長期支援への足場固めを行いました。

 また、パートナー団体、中間支援組織、研究機関とのネットワークを活用して、ボランティアの受け入れ、専門家派遣、後方支援活動、新規市民グループの活動資金獲得支援に取り組みました。上記の活動に加え、仮設住宅を含む住環境の改善、漁業支援などの中長期プロジェクト実施可能性についても調査を開始しました。

2011年6月上旬
・仮設住宅調査
・住宅支援制度・家屋修理に関する組織作り・調査


・石巻市内コミュニティカフェの開設に向けた準備
・炊き出しの実施
 週1~2回ペースで避難所で実施


・酪農学園大学ボランティアチームの受け入れと調整
 6月以降も7月3日までの期間で、大学教員を含め各班5名、合計40名程度を一週間交替で受け入れ
・石巻市内在宅避難者調査および支援
 特に在宅避難者が多い地区で、自治会の関係者からの聞き取り調査や個別訪問を行いながら、被災者の方が置かれている問題を集約し、その改善が少しでもお役にたてるようなプロジェクト立案に繋げます。また、緊急性の高いニーズがあった場合は、可能な限り迅速に直接支援を行います。
・石巻市内の衛生環境に関するプレ調査

石巻市内の衛生環境に関するプレ調査。酪農学園大学 蒔田先生。この後、石巻市内の調査プロジェクトの実施に繋がりました

2011年6月下旬
・石巻市内の衛生環境に関するプレ調査
・石巻市内コミュニティカフェの開設に向けた準備
・酪農学園大学ボランティアチームの受け入れと調整
・炊き出しの実施
・中長期申請案件の作成・提出

活動詳細(2011年7月)

2011年7月
・石巻市内コミュニティカフェの開設に向けた準備
・酪農学園大学ボランティアチームの受け入れと調整
・中長期申請案件の作成と提出
・酪農学園大学における学生ボランティア振り返りワークショップの準備

酪農学園大学でのボランティア活動振り返りワークショップ

今後の活動に向けた被災地の課題分析(2011年6月~7月調査)

 現場では、支援が届かない、生活の先が見えないという理由で、いらだちを隠さない被災者の方も少なからずいる中で、ボランティアの皆さんにもご協力いただき、被災地の声を拾うアンケート・調査活動でも多くの汗を流していただきました。
 そこで明らかになってきたのは、被災地全体で「情報の不足」「住環境の問題」「コミュニティの問題」があるということでした。

1. 情報の不足

 東日本大震災で石巻市は、死者・行方不明者が5,495名、全半壊家屋が4万5千戸を越しており、他の自治体と比べても甚大な被害を受けた自治体です。被災後3カ月が過ぎた6月中旬でも、85カ所の避難所において5,445名の方が厳しい生活を送っています。一方で、様々な理由により、被災当初から避難所には入らず、全壊、大規模半壊、半壊の判定を受けた被災した自宅家屋で生活を送っている「在宅避難者」も多くいます。

 在宅避難者の方にお話を聞くと、「在宅被災者にも関わらず、市からの救援物資を受け取ったことがない」、「様々な情報が載っている市報を被災後一度も目にしたことがない」、「新聞を買うお金がないので最近のニュースはほとんど知らない」といった“支援サービス”“公益性の高い情報”にアクセスできていない被災者が多く確認されました。
 避難所では、市職員が常駐または定期的に訪問し、市報を配布、必要情報の掲示を行っていましたが、自宅に戻った自宅避難の状態になると、人によっては避難所までの距離が物理的に遠いために、情報をもらえない状態が続いているとのことでした。“情報”へのアクセスができないことにより、市が提供する支援を受けられていないことは当然大きな問題ですが、これらの問題に対して「市役所がちゃんと仕事をしていない」という形で被災者の方は不信・不満を募らせており、行政と被災者との軋轢が高まり、今後の復興過程に悪影響を及ぼす危険性があるということも大変な問題です。

 在宅避難者は、年金生活者などの高齢の方が多い傾向があります。今までは、十分暮らしていけた地域でも、地震と津波被災で、商店、スーパー、病院など基本的な生活を送る上で必要な物資やサービスを購入する生活の場も大きな被害を受け、車のない世帯が暮らしていくには非常に過酷な状況です。また、がれきの撤去の遅れや有害物質の飛散や下水復旧の遅れで、衛生環境も非常に悪く、その部分でのサポートも不足しています。さらに、人が集まる集会所や公民館なども被災した地区もあり、コミュニティという視点からの住環境への対策が急がれます。

 また、話が前後してしまいますが、実は、在宅避難者へのケアが必要ではないだろうか?と思い始めたのは、4月7日の午後11時半に発生した大規模な余震の際でした。当時は、東松島市の避難所だった学校の3階にチームが滞在していました。明りが消えた避難所学校の3階の教室や廊下に被災者が集まり、再度津波や余震が来るかもしれないという不安の中で夜を過ごしました。地震が発生後2時間くらい経過した夜中1時過ぎ、見回りのため学校の玄関に行ってみると、暗闇の中から高齢の女性がリュックを背負って玄関に歩いてくるのでした。話を聞いてみると、女性は独居の在宅避難者で、地震発生後、1人では不安で眠れないので、徒歩で避難所に歩いてきたとのことでした。その際に感じたのは、今までは大丈夫でもこの状況下で高齢者が暮らすというのは、今まで以上のケアが必要になるだろうという思いと災害弱者という言葉でした。

※上記の課題への対応として、北海道新聞社会福祉振興基金から活動助成を受け、「石巻市在宅避難地区での公益情報”かわら版”の発行プロジェクト」として活動を行いました。

石巻虹色交差点 最終第6号
石巻虹色交差点 第1号(2011年8月22日配布)
石巻虹色交差点 第2号(2011年9月12日配布)
石巻虹色交差点 第3号(2011年9月26日配布)
石巻虹色交差点 第4号(2011年11月5日配布)
石巻虹色交差点 第5号(2011年12月16日配布)
石巻虹色交差点 第6号(2011年12月24日配布)
かわら版配布の様子。川村さんには特にお世話になりっぱなしでした

2.住環境の問題(避難所の解消から仮設住宅へ)

 今回の震災では、被害が甚大かつ広域だったこともあり、被災者にとって復興への第一歩を踏み出す拠点となる仮設住宅の完成にも時間を要しています。さらに、行政職員も多数被災しており、きめ細やかな行政側のケアが行き届かない中で、仮設住宅への入居が始まっています。本来であれば、過去の震災の経験を生かした総合的な支援が、復興への第一歩となるはずですが、十分に行われているとは言えないのが現場の声でした。実際建設された仮設住宅に足を運んでみると、従来の仮設住宅でも指摘されていた通り、「狭い・暑い・音がつつ抜け」という問題が発生しており、大きな欠陥のある仮設住宅も少なからず存在します。

 特に、これから2年以上の生活を送る「生活空間」としての仮設住宅を少しでも快適かつ東北の環境に順応したものにできるかは、地域の復興にとって非常に重要な課題です。ある仮設住宅地区では、建設を行った業者によって住宅の“質の差”が出ており、はじめから断熱に優れたペアグラス窓を使用している所もあれば、東北の気候には適さない通常の窓も混在している地区も存在します。これらの“差”は、コミュニティ全体から見ると、快適性や光熱費といった形で差となって現れ、被災者間の関係に歪みを生み出し、その関係性の悪化の引き金となりかねない現状です。

※上記の課題への対応は、三井物産環境基金から活動助成を得るに至り、「仮設住宅の住環境改善プロジェクト」に繋がりました。

東日本大震災被災地復興支援活動「仮設住宅の住環境改善」東日本大震災被災地復興支援活動「仮設住宅の住環境改善」

3.コミュニティの問題

 被災地域では、住民の避難や仮設住宅への移動に伴い、様々な変化が発生しています。住居だけでなくコミュニティ全体の人間関係の変化、地域の文化や歴史の継承といった点の課題も今後確実に発生することから、これらへのサポートも必要になってきます。
 宮城県では特に海岸部に被害が集中していますが、支援が被害にあった人々にのみ集中してしまう弊害もあるように思います。私たちは、被災者の周辺に暮らす人々、陰ながら支える皆さまにも焦点を当てるような包括的な地域支援活動ができればと考えています。

※上記の課題への対応は、「被災地域でのコミュニティ構築支援の各プロジェクト」に繋がりました。

東日本大震災被災地復興支援活動「コミュニティ構築支援活動」

【参考】支援物資とニーズまとめ(2011年4月-5月)

 私たちは、2011年4月以降の活動で、宮城県の大小の避難拠点を日々回り、支援物資の配布と御用聞きを集中的に行いました。また、避難拠点に直接支援物資をマッチングして届ける「あくしゅプロジェクト」を立ち上げ、遠隔地からの物資支援についても取り組むこととなりました。現地でどういった物資のニーズがあったか、今後の災害時の参考として、共有いたします。

東日本大震災被災地物資ニーズまとめ(2011年4月~5月)

1.物資分配の方法

物資に関する情報 最新版
(気仙沼市、南三陸町、女川町、石巻市、牡鹿半島の避難所)

全体的には、食料、衣料については行きわたり始めている。大きな拠点には物資が揃っているが、地域の物資の配分方法によっては末端の避難所まで物資が届くのが遅れたり、量が少なかったりしている。支援が届いていない避難所も少ないものの、まだ存在する。

「町の大きな物資拠点(本部)→地区の物資拠点→大きい公的避難所(集落の拠点)→小さな避難所・民家きな小さな個人避難所」のようなツリー構造で分配が行われている。

実際にインタビューをすると本部の担当者が、十分であると言っていた物資も末端に行くと足りていないというケースは多くある。町の大きな物資拠点の認識と末端の避難所の物資に関する「充足度」の違いはいまなお大きい。

①【食料・飲料】について

食品に関しては、物資が足りない緊急的なフェーズは過ぎているが、避難所生活の長期化で健康面等にも配慮されたバランスの良い食料へのニーズは高い。また、現在はある程度の物資が届いていても、急に届かなくなる等の事態があるため、継続的な支援が望まれる。特に、僻地の避難所は、比較的高齢の方が多く、嗜好や健康面からの支援が必要。また、調味料の支援が少ないという避難所が多く、味付けのバリエーションを増やす意味でも、地域特産の保存のきく調味料は喜ばれる。

○瓶詰め:ジャム、佃煮など偏りがちな食事のバリーエーションを増やす。電気のない地域などでも保存がきくため有効。ある程度大口が望まれる
○レトルト食品一般:カレーは結構配られているため、牛丼、中華どんなどの方が良い。最低でも数十単位でないと配付が難しい
○乾物一般:干しシイタケ、わかめ、切干大根、干物など高齢者の嗜好とマッチしているため有効
○肉製品:石巻の拠点まで冷蔵か、冷凍で送れる状況ができれば可能かもしれない。電気が復旧し、冷蔵庫が使える地域では潜在的なニーズが高い食品ではある
○チーズなど:日持ちさえすれば、ニーズは高い。肉製品同様
○じゃがいもなどイモ類:保存性が高く、用途が多岐にわたるので重宝
○たまねぎ:保存性が高く、用途が多岐にわたるので重宝
○キャベツ、はくさいなどの葉もの野菜:ニーズ高いが、輸送時の保存に留意が必要。現地調達も可能
○その他野菜:汁物、炒めもの、薬味などに使用でき、宅急便の配達が多少遅れても問題なく日持ちするものであれば基本的に喜んでもらえる
○漬物:ご飯、みそ汁、漬物を基本としている避難所も多く重宝。常温である程度日持ちするものがベター。すでに刻んであるものがいいという声も多い
○オレンジ、バナナ、リンゴなどの果物:日持ちもするので、それなりの量の支援が届いているが、ニーズは高い。箱単位での支援が必要。かんきつ類が欲しいという声が多い
○野菜ジュース、トマトジュース、フルーツジュースなど 高齢者や食の細い人の野菜不足の改善に非常によく非常に喜ばれる
○コーヒー、紅茶:1カ月も飲んでないので、癒されたいという声多数
○緑茶、ウーロン茶、麦茶:ペットボトルもいいが、お湯はやかんで沸かせる避難所も多いので茶葉+茶バッグという組み合わせも喜ばれる。今後は冷たいお茶のニーズも高まってくる
○チョコレート、クッキーなどの洋菓子:女性や子供を中心に大変喜ばれる。ただし、気温と保存の問題があるので、留意が必要
○しょうゆ、めんつゆ、味噌、酢などの基本的調味料:足りない避難所が多い。主食・野菜・肉の調理のために重要。特にめんつゆの需要が高い。大規模避難所へは一斗缶レベルの物がよい。在宅避難している方に配るのには通常のサイズが重宝される
○みりん、砂糖、はちみつなど:〃
○うまみ調味料、だしのもと:手早く調理可能で、煮込み料理なども多いため
○食用油:意外に足りていない
○ドレッシング、ソース、ケチャップ、マヨネーズ、七味など:食材は届くが調味料がないという声が多数あり、食のバリエーションの増加、保存性の高さからも有効な物資

②【食器・調理用具】について

 食器に関しては、水が足りない地区や衛生対策が優先されている避難所では、「使い捨て」のものが使用され、大きな避難所では、毎日1000ずつのオーダーで消費されている。逆にある程度厨房設備の整った避難所では、繰り返し使えて軽いプラスチックの容器が重宝している。また、調理器具、食器などもニーズも今後高まってくる。

○箸:上水の整備と共に、使い捨てではなく、何度も使えるタイプの需要も高まっている。
○スプーン、フォーク:耐用性のあるものであれば、需要あり
○調理用具セット(包丁、まな板、ボール、ヘラなど):避難所によっては近隣住民からの持ち出しで使っている場所もあるため、今後必要。仮設住宅入居時にもニーズが出てくる
○フライパン・鍋セット:避難所によっては近隣住民からの持ち出しで使っている場所もあるため、今後必要。仮設住宅入居時にもニーズが出てくる
○サランラップ、クッキングシートなど:皿と料理の間に敷いて使ったり、食品の保存に
○ゴム手袋、使い捨て手袋:水仕事や配膳時の衛生管理で
○プラスチックの仕切り皿:狭い避難所では省スペースで食事可能。子ども、高齢者も使用しやすい。皿洗いの水の節約にも
○紙皿、紙コップ:ノロウイルス対策のため、使い捨て食器を使用している避難所では大量に使用。ごみの収集がなくても、自ら燃やせる紙皿がベスト。
○食器:特に仮設住宅の完成に合わせ、需要が高まってくる。ただ、特定の世帯だけを支援すると軋轢が生じる可能性があり、ある程度大口で必要かもしれない。
○割ぽう着、エプロン :調理を担当している方や浜のお母さん用。洗濯物を減らせるという効果も大きい。
○水筒:直接リクエストをされてことはないが、特にお年寄りや子供などに夜間や外出時に適温の飲料を提供するためにも今後重要と考えられる。

③【衣料・履物】について

 子ども、若者向けも多くの需要があるものの、漁村の嗜好、高齢者のニーズをきちんと把握する必要がある(たとえば、ももひき、保温スパッツ、割烹着、派手な色ではないエプロンなど)。また、サイズにも留意が必要で、デザインが若者向けのもの、Sサイズ(特に漁村部はLサイズ、LLサイズが多く)は余る傾向があり、中古衣料は避けた方がいい。また、がれきの撤去作業などでよごれやすいので、ウインドブレーカーやジャージ(上は届くが下は少ない)など軽くてすぐ乾くもののニーズは高い。これから気温が上がるので、春物、夏物を意識した支援も必至。

○長靴:これから復興作業が継続するので、かなり重要になる。瓦礫にはガラスや釘が混ざっており、すぐに穴があくので、少ししっかりしたものが有効
○男性用・女性用サンダル:一足しか靴を持っていない方が多く、少し外出するときに重宝。特に漁村部ではつっかけタイプが喜ばれる。安いもので全く問題ない
○スニーカー:長靴はくるが、普通の靴も欲しいという声ある
○ジャージ:作業で動きやすく、すぐに乾くので便利。下が足りないという声が多い。サイズは、L、LLが多い
○小中高の学生ジャージ、部活の練習着など:動きやすく、洗濯しやすいので、小中高生への衣料支援では一番適している。また、部活を再開したいが、なかなか道具がそろわないという声も多い
○靴下:基本的にニーズは高い。軍足タイプも需要あり
○ウインドブレーカー:男女ともにニーズが高い。特に水濡れにも対応できるので重宝とのこと
○女肌肌着(三分丈、七分丈など):まだ洗濯ができない場所が多いので変わらず重要。また温度の変化で調整するためにも、夏物も服含め、多くの支援が望まれる。
○男性肌着(半袖、長袖) 〃
○男性用、女性用ももひき、インナースパッツ(各丈)など:暑さ対策、寒さ対策に非常に有効。快適性が増すという声も多い
○男性用トランクス、ブリーフ:中年の方が多いので、Mサイズより大きいサイズがよい
○パジャマ:服が全部流されてしまったが、日常を取り戻すという意味でも欲しいという声も
○Tシャツ、長袖シャツなど:中古が多く、なかなか新品が回って来ないという声も多い。中古は仕分け側にも労力がかかるので避けた方がよい
○帽子:ニット帽、キャップ共に喜ばれる
○喪服:葬式に着て行く服がないという切実な声があった。中古でもクリーニング済みのものであれば、需要はある

④【生活・衛生用品】について

生活用品については、寝具・常備薬・洗濯関連物資など、衛生関連では、洗剤全般・消臭剤・殺虫剤・化粧品・掃除用品などに大別される。どれも、一般の家庭で基本的に必要な物資といったものが多い。この部分の支援は、食料、水、衣料などに比べ、緊急性が低いと判断され、支援が遅れている傾向がある。

○タオルケット:今後ニーズが増してくる
○布団:特に民家の被災者受け入れ箇所で不足気味である
○バスタオル:避難所での用途は多数あり、いくつあってもよい
○コロコロ:掃除機が使えない避難所も多いため
○液体衣料洗剤:消耗品なので変わらず重要。水が不足している地域では、すぐ溶け、水の節約になるので、液体洗剤が喜ばれる
○食器用洗剤、スポンジ、トイレ洗剤:特に大きな避難所では不足しがち
○手洗いアルコール:避難所は人間が多いので、特に女性からのリクエストが多い。
○芳香剤、トイレ芳香剤など:仮設トイレ、もしくは、水不足のトイレがあるため、芳香剤は重要
○ファブリーズ:洗濯の回数が限られているためニーズは非常に高い
○シャンプー、ボディーソープなど:風呂サービスが広がりつつあるが風呂用品がないという声もある
○風呂バッグ、洗濯物バッグ:特に外部へ洗濯物や風呂道具を持ち運ぶ人からニーズがある
○絆創膏、防水カットバン、消毒剤、包帯など:がれき撤去などでけがをする人も多いため
○うがい薬:特に瓦礫から舞う埃や感染予防のためニーズは高い
○かぜぐすり、正露丸、整腸剤、アイスノンなど:常備薬として。安心効果もある
○保湿クリーム、保湿ローションなど:乾燥してかさつくため。子どもの肌のケアにも必要
○ハエ殺し、コバエ対策用品、殺虫剤など:これからの季節に必須。暑さが到来する前の早めの支援が重要になる
○化粧品:女性のたしなみとして最低限の部分は必要とのこと
○I字カミソリ:男性用のT字は来るが、女性用はなかなか来ないという声も
○シュシュなど:髪をまとめたいがないという声も
○洗濯バサミ:足りてない避難所も多い。仮設住宅が進むとさらに必要数が増してくる
○たらい、洗濯板:洗濯機が使えない地域では有効
○耐油手袋、厚手のゴム手袋、軍手:瓦礫掃除の必需品。非常にニーズが高い
○爪切り:各世帯ごとに必要になってくるもののひとつ
○ガムテープ、透明ゴミ袋:物資の管理に使えるし、移動の際も何かと便利とのこと
○ほうき、ちりとり、モップ、トイレ用すっぽん:掃除に必要

⑤【その他】について

 当初、大きく不足していた燃料(ガソリン、灯油等)は改善。衛生や健康、学業、避難所の管理体制を強化するための電化製品を含めたニーズが出始めている。浜のお父さんは大工仕事を得意にする人が多く、工具系の支援があれば、自分たちで工夫して色々な物を作っていくという方もいます。

○ホワイトボード:避難所での情報の共有のために必要
○ペン、ノート、のり、はさみなど:行政側からの支援が遅れている学用品として
○中古パソコン、プリンター、電子辞書、USBメモリなど:パソコンは避難所でのデスクワークのため。電子辞書は、学生の勉強道具として。ある程度の性能であれば中古品でも大歓迎とのこと
○眼鏡(老眼鏡):ない方にとっては、生活が大きく改善される物品の一つ
○高校の予習問題集:学校が再開するまで時間があるので予習したいとの声も
○リュック:老若男女問わず、出かけるときのバッグがないという声も多い
○シャボン玉、折り紙など:子どもにとってはいつもうれしい物資
○絵本、マンガ:ニーズはあるもののどの避難所に運搬するか捌くのが難しい物資でもある
○ソーラーランタン:電気の供給がない、不安定な地域には非常に有効
○懐中電灯:まだ余震で電気が切れる不安もあることから、ニーズは高い
○電池、電池ソケットなど:変わらず重要
○血圧計、体重計:血圧計は、指で測る物などがあれば被災者の健康管理で便利という声も
○バリカン、はさみ:避難所にはヘアカットの技術を持った被災者もおり、衛生管理の面でも有効
○携帯のソーラー、電池充電器:被災地での連絡手段は、携帯電話一番有効であるものの、電力事情が不安定なことから
○反射式のストーブ:電池のみで使用可能な暖房として非常に重要。中古でも十分喜ばれます
○扇風機:これからの季節に重要になってくる
○小さなワンセグTV:ニュースをみるため
○加湿器、空気清浄機:避難所は乾燥し、人の出入りが多くほこりなどの飛散物が多いため導入したい避難所は多いとのこと
○洗濯機、乾燥機:電気の復旧に伴いニーズが高まっている。中古でも可能
○冷蔵庫:電気の復旧に伴いニーズが高まっている
○大工道具一式(釘・斧・トンカチなど):浜のお父さんは大工仕事を得意にする人が多く、これからの復興作業のために重要。今は瓦礫の中から拾い出してきたものや被災していない世帯から借りて間に合わせている。煮炊きを薪で行う避難所もあり、薪を作るための工具もニーズが高い
○水タンク、お茶ポットなど:一般的な水容器は現地で調達可能だが、冷たいお茶などを入れるポットは需要が高い
○サンダー、チェンソーなどの電動工具:がれきの除去などに加え、簡易の建物や風呂を作る際に使いたいとのこと。僻地に行くほど、需要が高い。自分たちやれることはやるという方を応援する意味でも重要な物資
○かさ、カッパ:雨の日にはやはり必要とのこと
○ブルーシート、防災シート:簡易の建物を覆ったり、物資の管理に重宝
○自転車:多くの避難所で移動のためにと、当初からニーズが高いもののひとつ。
○ラジオ:僻地の情報へのアクセスという意味でもニーズが高い
○家:「一番の問題ですよね」と深くうなずきます
○仕事:「一番の問題ですよね」と深くうなずきます
○愛:こういうコメントを下さる方もいます(笑)